2026年4月30日
高次脳機能プロジェクトの松野元美主席研究員、上村望、齊藤実プロジェクトリーダー/副所長、学術支援室の堀内純ニ郎主席研究員らの研究グループは、「加齢による記憶低下の原因は「忘却」ではなく「記憶の混同」だった」についてPLOS Biology に発表しました。
当研究所 高次脳機能プロジェクトの松野元美、学術支援室の堀内純ニ郎らの研究グループは、加齢による記憶低下の原因が、従来考えられてきた「忘却」ではなく、「記憶が混ざってしまう(汎化)」であることを明らかにしました。
さらに、その背景には、記憶を固定する過程においてドーパミン神経の活動が過剰になる仕組みがあることがわかりました。
この発見は、加齢による記憶障害の新しい理解につながるとともに、将来的な治療法の開発にも貢献することが期待されます。

当研究所の松野元美、堀内純ニ郎研究員らの研究グループは、ショウジョウバエを用いて、加齢による記憶低下の新たなメカニズムを解明しました。
加齢に伴う記憶低下は、一般に「記憶が失われる(忘却)」ことによって生じると考えられてきました。しかし本研究では、その主な原因は記憶の消失ではなく、「記憶の特異性が低下し、異なる記憶同士が混同される(記憶の汎化)」であることを明らかにしました。
老化した個体では、本来は関連のない経験同士が結びついてしまい、不適切なタイミングで記憶が呼び起こされることで、記憶の混乱が生じます。さらに、このような不適切な記憶の結びつきは、記憶固定の過程においてドーパミンシグナルを十分に抑制できないことによって形成されることが示されました。
ヒトやショウジョウバエを含む多くの生物では、加齢に伴い記憶機能が低下します。しかし、その原因が記憶の消失によるものなのか、あるいは記憶の区別能力の低下によるものなのかは、これまで十分には解明されていませんでした。
一般に、記憶は学習によって形成される特定の神経回路によって担われています。特に長期記憶の形成においては、特定の神経細胞群が活性化し、「記憶細胞(エングラム細胞)」として機能します。これらの細胞の活動を抑制すると記憶は想起されなくなり、逆に人工的に活性化すると手がかりがなくても記憶が呼び起こされることが知られています。こうした知見は、エングラム細胞が長期記憶において重要な役割を果たすことを示しています。
本研究では、加齢による長期記憶低下が、エングラム細胞の形成や機能の変化に起因する可能性に着目しました。
ショウジョウバエは、匂い刺激と電気ショックを組み合わせて提示することで、その匂いを回避するよう学習します。この訓練を適切な間隔で繰り返すことで、長期記憶が形成されます。そこで本研究では、老化個体においてエングラム細胞が正常に形成され、機能しているかを検証しました。
本研究では、長期記憶の形成に伴って生じるエングラム細胞の数が、若齢個体と老化個体でほぼ同等であることを明らかにしました。さらに、これらの細胞を人工的に活性化すると、若齢個体・老化個体のいずれにおいても回避行動が誘導されることから、エングラム細胞自体は老化後も機能していることが示されました。
一方で、エングラム細胞の応答特性には大きな違いが見られました。若齢個体では、学習時に電気ショックと対提示された特定の匂いに対してのみエングラム細胞が活性化されるのに対し、老化個体では複数の異なる匂いにも反応が広がりました。
この結果は、老化による記憶低下が記憶の消失ではなく、記憶の汎化(異なる刺激への過剰な反応)によって引き起こされることを示しています。実際に行動実験でも、若齢個体は学習した匂いのみを回避するのに対し、老化個体は複数の匂いを回避することが確認されました。
さらに本研究では、グルタミン酸作動性ニューロン、ドーパミン作動性ニューロン、エングラム細胞からなる神経回路が、この記憶の汎化を制御していることを明らかにしました。具体的には、グルタミン酸神経の活動がドーパミン神経の活動を増強し、その結果、記憶固定過程におけるエングラム細胞の可塑性が過剰に高まります。この可塑性の増大により、本来は無関係な感覚入力でもエングラムが活性化され、記憶の汎化が生じ、記憶の正確性が低下します。
このモデルを支持する結果として、記憶固定過程においてドーパミン活動を増強すると若齢個体でも記憶の汎化が亢進され記憶性能が低下する一方、老化個体ではドーパミン活動を抑制することで記憶の汎化が減少し、記憶が改善されることが示されました。
本研究により、加齢による記憶低下が「記憶の汎化」によって引き起こされる新たな仕組みが明らかになりました。
今後は、この仕組みが哺乳類やヒトにおいても共通しているかを検証することで、加齢性記憶障害やPTSDなどに見られる、記憶の異常な再活性化の理解が進むことが期待されます。
さらに、ドーパミンやグルタミン酸の働きを調整することで記憶の特異性を回復できる可能性が示されたことから、記憶障害に対する新たな治療法の開発につながることが期待されます。
本研究は、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費補助金(JP20K06753:松野元美、
JP19H01013 および JP21K18238:齊藤実、ならびに JP21K06403 および JP18K06496:堀内純ニ郎)の研究費支援を受けて行われました。