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正しい運動を実行するための運動学習の仕組みの解明〜意識的な運動のための学習と無意識的な運動のための学習〜

米国科学雑誌「PNAS」に運動障害プロジェクトの本多武尊主任研究員らが「正しい運動を実行するための運動学習の仕組みの解明 〜意識的な運動のための学習と無意識的な運動のための学習〜」について発表しました。

運動障害プロジェクト 主任研究員本多 武尊


脳が心の座であるということが一般に知られるようになってきましたが、未だに脳の中の仕掛けは見えてきていません。私たちはどこかで自分の行うことすべてが意識の上で行なっていると信じているところがあります。しかし、実際は私たちの意識の知らないところで働く脳の仕組みがあり、それを直接見ることは容易でありません。そのような脳が外界に適応することで難しいことを簡単に行うことができます。

例えば、飛んでくるボールに対して、持っているバットやラケットを点で合わせ、ボールを跳ね返すことができます。すなわち、自らで制御できない外界に対して、自らで制御できる身体や道具を適応させることで高精度な運動が可能となります。その適応は脳の学習による制御機能によって実現されているのです。

私たちは、運動においてその学習機能が脳の一部である小脳が担っていることを確認し、どんな情報を小脳が学習するのかを調べました。具体的には、視界を右へずらしてしまうプリズムレンズをかけた被験者が、右手で右耳を触れ、ディスプレイに映し出されるターゲットへ向かってディスプレイをその右手でタッチする運動を繰り返し行ってもらいました。視界が右へとずれてしまうため、最初はターゲットをタッチできず、ターゲットから右の方へ離れたところをタッチしてしまいます。しかし、それを繰り返していくと学習が進み、ターゲットを正確にタッチできるようになりました。

この課題によって、⑴ 間違った運動である自分の運動の結果(運動を実行した結果)を見て学習し、その学習した情報を使って意識的に正しい運動を行い、⑵ 正しい運動を行うことで、「運動を実行する方法」そのものを学習し、無意識的に正しい運動を実行できるようになることがわかりました(図)。さらに、意識的に正しい運動を行わないでいると「運動を実行する方法」そのものを正しく学習できないことも発見されました。

つまり、意識を利用することによって「運動を実行する方法」そのものを学習するかどうかを選択できることを示しています。さらに、「運動を実行した結果」の学習は意識で制御できないことがわかりました。

これらの結果は定式化でき、疾患による小脳へのダメージがあるとき、「運動を実行した結果」を学習できないケースと、「運動を実行する方法」そのものを学習できないケースがあることを予測できます。実際に、脊髄小脳変性症の患者さんはこの予測の通りにそれら2つのケースに分類でき、これまでにない臨床像を明らかにすることができました。

このように、運動への意識の関与を明らかにするばかりでなく、この研究成果は病気の理解と治療、リハビリテーションへの促進となることが期待されます。

右に視界がずれるプリズムレンズをかけたとき、ターゲットにタッチできず、ターゲットから右の方へ離れたところをタッチしてしまいます。しかし、何度もターゲットをタッチしようと腕の運動を繰り返していくと、間違った運動の実行結果から小脳は学習し、意識的に正しい運動ができるようになります。しかし、一生懸命に意識してターゲットをタッチしないと精度良くタッチできません。この意識的な正しい運動を何度も繰り返していくと、正しい運動の実行方法を小脳は学習していき、慣れていきます。その結果、何も考えずに無意識的に正しい運動ができるようになります。


あとがき

小脳運動学習仮説を提唱し、その検証に甚大なる業績を上げられた伊藤正男先生(東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員・名誉顧問)は昨年12月他界されました(享年90歳)。謹んで先生のご冥福をお祈りします。この研究で、私は2種類の学習があることを発見し、これまでの研究にはない考えを理論で示しました。さらに、この研究は、伊藤正男先生がご興味のあった「心」の研究へと繋がる可能性があるものでしたので、この研究に魅力を感じていただき、数年に渡って伊藤正男先生に妥協のない厳しさをともなった温かい議論をしていただきました。その議論の中で、成果に追われる私たち研究者が忘れがちな哲学の重要性を教授してくださいました。「やらなくてはならない研究、学問をやりなさい」と。伊藤正男先生をはじめ、ご指導いただいた多くの先生方に衷心より感謝を申し上げます。


本多 武尊
運動障害プロジェクト 主任研究員

本多武尊

2011年 電気通信大学大学院 学位(工学)取得。理化学研究所 脳科学総合研究センター (2011年ー2013年)、東京医科歯科大学 特任助教 (2013年ー2015年)を経て、現在は東京都医学総合研究所 運動障害プロジェクト 主任研究員 (2015年ー現在)。小脳皮質内神経細胞ネットワークの大規模計算機シミュレーションによる「小脳を知る」研究や小脳と他脳部位とのネットワークによる運動学習制御についての理論研究を中心に理論脳神経生理学研究を進め、運動計測技術を利用した臨床研究への応用も進めている。

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