HOME刊行物 > Jan 2021 No.040

特集

年頭所感

所長正井 久雄

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あけましておめでとうございます。

有史以来、人類が直面してきた3つの大きな問題は、『飢餓』『疫病』『戦争』であると言われます。

2021年の年頭所感には、東京オリンピックで大活躍した日本選手の話題を書いているはずでした。昨年初頭に、一年後に『疫病』により世界の状況が一変してしまっていることを予測した人は誰もおられなかったでしょう。

1 新型コロナウイルスと医学研

私のメイルボックスに朝日新聞ニュースが毎日配信されますが、昨年1月16日に『中国の新型コロナウイルス、日本でも初の陽性 神奈川』というニュースで初めて新型コロナウイルスという単語が現れます。『飢餓』『疫病』『戦争』は21世紀の現代も、引き続き世界中で継続して起こっています。世 界人口18億人のうちの4,000万人以上が死亡したと言われる、1918年のスペイン風邪を始まりとする新型インフルエンザは10~30年に一度発生しています。一方、新興感染症としては、2018年にコンゴにおけるエボラウイルス病(EVD:Ebola virus disease)の流行で3,500人が発症し、2,300人が死亡しています。2002年には重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)、2012年には中東呼吸器症候群(MERS: Middle East Respiratory Syndrome)が勃発し、2017年の統計によると、それぞれ、8,000人、2,000人余りの方が発症し、800人、700人余りの死者を出しています。これらの新興感染症に比べて新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は感染力が高く、瞬く間に世界中に拡がり、しばらくの間感染症の重大な脅威に晒されていなかった先進国にとって、未曾有の事態となりパニックを引き起こしました。原稿執筆時点で、日本でもPCR陽性者数が毎日急速に増加しており、感染がどこまで拡がるのか、予測できない極めて憂慮すべき状況になっています。

今回のpandemic(世界的大流行)では、勃発からまだ一年も経っていないにも関わらず、世界中でCOVID-19に関する研究が一気に進行しました。毎日、平均300報近くの論文が発表されていると言われています。また、通常10年程度かかると言われ、一年で開発することは不可能と思われていたワクチン開発が、複数のプロジェクトで終了し既に接種が開始されています。まさに人類の叡智を結集させ、一日も早く収束させるための努力が世界中で進行しています。今回の研究動向を見ていると、中国から押し寄せる怒涛のような研究とともに、欧米は海を越えて共同研究を極めて迅速に推進し、驚くべき速さで必要なdataを得ていることがわかります。日本からも重要な成果が報告されていますが、「研究許可のための審査に時間がかかり過ぎ、研究開始の時点で既に数ヶ月海外より遅れてしまっている」という声を聞きますし、私自身も研究の申請をした際、同様に感じています。今回のような緊急を要する研究については、書類の簡略化、迅速審査等を可能にしないと、ますます海外から置いていかれるという危機感を強く持ちました。

研究所としては、新型コロナ対策特別チーム(統括責任者 糸川昌成副所長)を5月に設置し、小原道法特任研究員、安井文彦副参事研究員らが中心となって中和抗体及び細胞性免疫を強力に誘導でき、ウイルスの変異に対応でき、しかも免疫を長期にわたり持続できるワクチン開発、及び都立病院等と連携した大規模抗体検査を行っています。そして、都医学研独自の新型コロナウイルス関連研究、6課題を開始するとともに、新型コロナウイルス感染症に関する最新の情報を学術文献に基づき、一般向け、研究者向けにホームページに提供しています。国立遺伝学研究所との共同研究で、ウイルスRNAゲノムの直接解析に基づく新規診断法の開発も進めています。また、西田淳志社会健康医学研究センター長は、東京iCDC専門家ボードの『疫学・公衆衛生チーム』のメンバーとして参加し、人流データ分析に原づく感染抑止策に関する提言を行っています。

感染が猛威を振るう現在も、日々、医療現場でこの未知のウイルスと対峙し、患者さんの命を救うために治療・看護に当たってくださっている医療従事者の方々に改めて敬意と感謝を表するとともに、研究所として、そして、研究者としてできることは何かと考えながら、その総力を挙げて貢献する所存です。

2 新型コロナウイルスと研究者・社会

新型コロナウイルスは、世界中の研究者にも大きな影響を及ぼしました。都医学研も例外ではありません。緊急事態宣言が出され、研究室に来ることができなくなり、研究の進展が著しく制限されただけでなく、実験を中断しなければならない等、大きな時間的損失を被った方は多いかと思います。学会や会議は昨年2月以降、軒並み中止、延期となりました。昨年半ばを過ぎると、国際会議もon lineで行うものが多くなり、国内の学会もほとんどがon line学会となりました。出張せずに学会に参加できるという気安さは利点ではありますが、多くの研究者が最新の情報を発表しない(特に学会に招待される外国人講演者はその傾向が顕著でした)、face-to-faceでないために発表のみで終了してしまい、研究の発展につながるような意味ある情報交換ができない等の明らかな負の側面があぶり出されました。海外の学会・会議も多くがon lineで行われているようですが、日本は時差の点で不利な状況にあり(昼夜逆転させて学会に参加する覚悟を決めたら別ですが)、海外の最新情報の入手がかなり困難になっていると感じます。

また、大学生の講義が全てon lineになっている状況は極めて憂慮すべきことと感じます。学生は、大学での先生の熱い対面講義、先生・友人との交流を通じて学び、将来行いたいことを見つけていくと思いますが、「講義のビデオを自宅で見て、問題に対してメイルで答える」の繰り返しでは、大学で勉強する意義の最も重要な部分が欠落しており、若者の将来に対する影響が大変懸念されます。

最後に、新型コロナウイルスの感染は私たちの健康への大きな脅威ですが、日本では感染者や治療に貢献している医療関係者とその家族等に対する差別、誹謗中傷が一部に存在し、感染したことを人に知られることを恐れるという状況があることが残念です。戦時中の国民精神総動員時代に戻ったように思ったのは私だけでしょうか。隣組のような監視システムが、感染者を犯罪者のように扱う雰囲気を生み、結果として現実により即した対応ができなくなっている状況を憂います。

3 2020年の科学界の話題と私の個人的な思い出

2020年のノーベル医学生理学賞は、Hepatitis C Virus(HCV)の発見によりMichael oughton、Charles Rice、Harvey Alterの3博士に授与されました。受賞者の一人のMichael Houghton博士は、米国California州にあったChiron Corporationというベンチャー研究所でHCVの発見に至ります。San Francisco Bayの周りは通称ベイエリアと呼ばれますが、Chironはイーストベイにありました。80年代初頭、有名なシリコンバレーに隣接するベイエリアには、Genentech,Cetusといったバイオテクベンチャーが集積していました。前者は組換えインスリンの開発で、後者はKary Mullis博士(1993年ノーベル化学賞受賞)がPCR法の発見をしたことで有名です。これらの発見は、ベイを挟んで反対側(ウエストベイ)のサンフランシスコ半島中央にあったDNAX研究所という、これもベンチャー研究所において、私が大学院生として研究をしていた頃と重なります。ベイエリアにはStanford、UCSF、UC Berkeleyという名だたる大学がひしめき合っており、70年代にStanford/UCSFを中心に組換えDNA技術が開発され、80年代に入り、それらの発見をもとに新しい技術、創薬への応用が一気に進みました。そのような大きな流れの中に身を置き、目の当たりにできたことは今になっては夢のような出来事です。情報とモノとヒトがベイエリアに集積し、大学のみでなくベンチャーにおいても大きな発見が次々と生まれました。これは偶然ではなく、10年以上前から継続し蓄積した研究の流れ、立地の良さ、情報の集積、そしてベイエリア特有の自由な情報共有の精神が重なりあって必然的に生まれたと強く感じます。

話をHCVに戻しますと、当時Chironの研究員であったQui-Lim Choo博士とGeorge Kuo博士は、1980年代半ばに、non-A, non-B Hepatitisと言われていたウイルスを単離すべく研究を行なっていました。彼らは当時流行していたλgt11 vectorを用いたcDNA libraryを作製し、患者の血清を用いてexpression cloningを試みました。その結果、彼らはlibraryから血清に反応するクローンを同定し、HCVのクローニングに初めて成功しました。これにより、血液からウイルスの存在をチェックするアッセイ法が開発され、輸血によるHVCの感染を防ぐことができるようになりました。1988年、病に伏せておられた昭和天皇の輸血に際して、この最新のアッセイが初めて使用されたのは有名な話です。シンガポールあるいは台湾出身のChoo博士とKuo博士は、Scienceに発表された二報の論文(文献1,2)の筆頭著者ですが、今回、受賞に至りませんでした。彼らのLab headでノーベル賞を受賞したHoughton博士は、受賞に際して「賞を授与されることはとても素晴らしい(sweet)が、同時にほろ苦い(bittersweet)」と述べています。それは共同研究者のChoo博士とKuo博士が評価の対象となっていないからです。実際Houghton博士は、2013年にガードナー国際賞を受賞した際、「ChooとKuoを差し置いて私がこの賞を受賞するのは不公平に感じる」として辞退しています。ノーベル賞を含む色々な賞において、誰が受賞すべきかは時々物議を醸します。Houghton博士が、同僚の貢献を広くacknowledgeしている態度は大変fairであると言えます。

余談になりますが、DNAX研究所でも新規サイトカインcDNAを単離すべく、当時1980年代の前半には、同様なcDNA expression libraryからのscreeningが盛んに行われておりました。私の師である故新井賢一先生は、当時研究所のDirectorでしたので実験を行う時間はほとんどないのですが、時間が空くと時々研究室に来てlibraryのscreeningを手伝おうとvolunteerされていました。自ら何十枚ものnitrocellulose filterにplate上のphage libraryを根気よくtransferしておられました。しかし、大抵filterをbakeし始めたところで安心してbakeし過ぎてしまい、後で熱でバラバラになってしまったfilterを一生懸命つなぎ合わせておられた様子が懐かしく思い出されます。

4 研究所のこの一年

昨年4月からプロジェクト研究の第4期が開始しました。研究分野を基礎医科学研究分野、脳・神経科学研究分野、精神行動医学研究分野、疾患制御研究分野の4つに再編し、21のプロジェクト及び6つの研究室が研究を開始しました。2021年度からは、新プロジェクトとして『がん免疫の網羅的解析およびその遺伝子治療への応用』、『概日時計と寿命・老化タイマー』に関する研究も開始します。また、『ゲノム医学研究センター』及び『社会健康医学研究センター』が発足しました。ゲノム情報、転写プロファイル解析技術の医療への応用、疫学的研究による疾患要因の解明、疾患の予測、難病や認知症の介護プログラム等、都民の健康の維持、福祉の向上のため、今後、重要性がますます増加すると考えられる研究領域については、センター化により、より長期スパンの計画の元、研究を遂行します。さらに、成果をもとに、介護プログラムや若者の心の健康を維持するための政策提案へと繋げていきます。

2020年の特筆すべき研究成果としては、蛋白質代謝プロジェクト(佐伯泰リーダー)のグループ(安田さや香研究員、土屋光研究員ら)によりNatureに報告された「液-液相分離が担う核内タンパク質分解機構の発見~細胞が環境ストレスに適応するための新しいタンパク質分解の仕組み~」が挙げられます。環境ストレスに応答し、プロテアソームが液滴を形成し、核内でタンパク質分解を誘導するという、プロテアソームの新機能、新作用機序に迫る画期的な発見となりました。ユビキチンプロジェクト(松田憲之リーダー)の山野晃史研究員らは「ユビキチンで標識された損傷ミトコンドリアをオートファジー分解に導く分子機構 ~Ubiquitin - OPTN(Optineurin) - ATG9A axisの発見~」をJCBに発表し、2020年のJCB top10 publicationに選ばれ特集号の表紙を飾りました。また、認知症プロジェクト(長谷川成人リーダー)の鈴木元治郎研究員らは「構造の異なるαシヌクレイン線維はプロテアソーム阻害の違いにより異なる病理を誘導する」についてeLifeに、睡眠プロジェクト(本多真リーダー)の夏堀晃世研究員は「睡眠-覚醒に伴う、脳内エネルギー変動を発見」について、Communications Biologyに発表しました。

発足以来、11年目を迎え、今後も『共有』『シナジー』『国際化』をキーワードとして、研究所の活性化を目指していきたいと思っています。残念ながら、コロナ禍で、これらのキーワードを実現するための方策の実行が困難な状況になってしまいましたが、この状況を逆手にとり、on line会議や、ホームページにおける動画の掲載やYouTube等を活用した広報活動による、より効果的な活動を工夫する必要があるでしょう。実際、昨年はコロナ禍にも関わらず、3回の都民講座及び3回のサイエンスカフェをon lineで開催しました。また、国外旅行が困難な現在、外国からの最新の情報を獲得しにくい状況にありますが、on line seminarの積極的な活用により、これまで困難であった海外第一線研究者のセミナーをより頻繁に気軽に行うことが可能であると考えています。

5 2021年を迎えて

2021年の干支(十干「じっかん」と、十二支「じゅうにし」)は「辛丑(かのと・うし)」。「辛」はその字の通り、ツライ、カライ、ヒドイ等の意味を持ち、思い悩むこと、また、痛みを伴うことを意味します。「丑」は発芽直前の曲がった芽が種子の硬い殻を破ろうとしている命の息吹、そして希望を表します。2020年はコロナ禍で社会全体が悩み、大きな痛みを被った一年でありましたが、今年は一日も早くこの暗闇から抜け出て、皆が明るく、希望の持てる日々を送れるよう祈るばかりです。

文献

  1. Choo, Q.-L. et al. Isolation of a cDNA clone derived from a blood-borne non-A, non-B viral hepatitis genome. Science 244, 359–362 (1989).
  2. Kuo, G. et al. An assay for circulating antibodies to a major etiologic virus of human non-A, non-B hepatitis. Science 244, 362–364 (1989).
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