東京都医学総合研究所のTopics(研究成果や受賞等)

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2025年12月17日
脳神経回路形成プロジェクトの隈元拓馬主席研究員、丸山千秋プロジェクトリーダー、ゲノム医学研究センターの原雄一郎主席研究員、川路英哉センター長らは「発達期マウス大脳の空間トランスクリプトーム解析が明らかにした時空間的分子マーカー」について国際科学雑誌Scientific Reports に発表しました。

発達期マウス大脳の空間トランスクリプトーム解析が明らかにした時空間的分子マーカー

当研究所脳神経回路形成プロジェクトの隈元拓馬主席研究員、丸山千秋プロジェクトリーダーらは、ゲノム医学研究センターの川路英哉センター長、原雄一郎研究員(現北里大)らと共同で、マウス胎生後期の脳での空間トランスクリプトーム解析により胎生期で特異的な脳領域マーカーの同定に成功しました。成果は国際科学雑誌『Scientific Reports』にオンライン掲載されました。

哺乳類の大脳新皮質は6層構造を取りますが、その形成メカニズムを知るには発生期の異なる段階、領域における分子マーカーの発現情報が有用です。成体脳における領域別の分子マーカーはこれまでに多く同定されていましたが、胎生期や生後発達期では成体と比べて遺伝子発現が異なることが多く、未同定の物が多く残されていました。今回我々はVisium空間トランスクリプトーム解析を用いてマウスの発達期であるE17、P0のデータを取得し、公開されているシングルセル解析のデータセットを用いた統合的研究を実施しました。その結果、データ駆動型解析により、脈絡叢、梨状皮質、視床や、前障/DEn複合体において背側内梨状核(DEn)の発達期における分子マーカーを新規に同定しました。これらの結果より、発達中の大脳構造の時空間的分子特徴を解明しました。

論文情報

<論文タイトル>
“The spatial transcriptome of the late-stage embryonic and postnatal mouse brain reveals spatiotemporal molecular markers”
(マウス脳の後期胚および出生直後における空間的トランスクリプトーム解析が明らかにした時空間的分子マーカー)
<発表雑誌>
Scientific Reports,(2025) (25-07710)
DOI:10.1038/s41598-025-95496-8.
URL:https://www.nature.com/articles/s41598-025-95496-8

研究の背景

大脳新皮質の発達プロセスは、細胞増殖、分化、移動、軸索の投射と成熟を伴い、精密な遺伝子制御により進行します。しかし、成体脳で確立された分子マーカーは胎児期脳で異なる挙動を示すことがあり、胎児期の解剖学的構造を分子レベルで理解するのは課題です。空間転写物解析は、空間情報を保持した遺伝子発現分析を可能にしますが、胎児脳への適用は未開拓でした。

研究の内容

本研究では、胎児後期(E17)および出生直後(P0)のマウス脳における細かな部位ごとの遺伝子発現測定(空間トランスクリプトーム)を10x Genomics社のVisiumプラットフォームを用いて行いました。これらを成体脳データと統合し、どの遺伝子発現がどの領域・発生段階に特徴的なのか、解剖学的および情報学的な観点から評価することで新規マーカーの同定を行いました。その結果、以下の領域特異性が明らかになりました。

  • 脈絡叢:Car12(E14以降)、Folr1(E11以降) — 髄膜非発現で高特異性。
  • 視床非VP部:Hsd11b2 — 成体で消失。
  • 梨状皮質:Rprml — 発達期特異的。
  • Claustrum/DEn複合体のDEn:Etl4 — 胎児期DEnを明瞭に区別。

これらの発現についてISH/RNAscopeで検証後、既存の単一細胞データとの統合により、claustrum/DEn内のグルタミン酸作動性およびGABA作動性(Etl4陽性など)ニューロンの異質性を解明しました。これにより、発達中脳の微細構造の分子特徴と細胞異質性を明らかにし、脳発達の神経解剖学的理解を深めました。

社会的意義・今後の展望

本研究により、大脳の発達過程における分子マーカーの時空間的な発現動態を明らかにすることができました。多くの神経発達障害(自閉スペクトラム症、てんかんなど)は、胎生期の遺伝子発現異常や脳構造形成の乱れに起因するとされています。特に、Folr1は葉酸輸送に関与し、その機能低下が小児神経変性疾患を引き起こすことが知られています。また、Claustrum/DEn領域は意識・注意・感覚統合に関連し、発達異常が精神・神経疾患の基盤となる可能性があります。本成果は、これらの疾患の分子病態解明や早期診断マーカーの開発に寄与し、将来的には脳発達異常の予防・治療戦略(例: 遺伝子操作モデルや薬剤スクリーニング)の基盤となることが期待されます。

図1
図1
(左)発達期(E17;胎生17日、P0;生直後)と成体大脳のVisium空間トランスクリプトームデータ。胎生期のみ発現する遺伝子、成体期まで継続して発現する遺伝子や成体期になって発現する遺伝子などさまざまな分子マーカーが明らかになった。(右)シングルセルRNA seqデータとVisiumデータの統合解析のイメージ図。

用語解説

空間トランスクリプトーム:
組織切片上の遺伝子発現を、位置情報(空間情報)を保持したまま解析する技術。従来のRNA-seqでは細胞をばらばらにして空間情報が失われるが、この方法(本論文ではVisiumプラットフォームを使用)では、どの場所でどの遺伝子が発現しているかを直接可視化・定量できる。
分子マーカー:
特定の細胞タイプや脳領域を識別するための遺伝子(またはタンパク質)。その領域で強く発現し、他の領域では弱いか発現しない遺伝子。本論文では、既知のマーカーに加えて新規のマーカーを複数発見している。
脈絡叢:
脳室(脳内の空洞)内に存在する上皮組織。脳脊髄液(CSF)を産生し、脳の栄養供給や老廃物除去に重要。発達期には脳室に侵入して形成され、髄膜(leptomeninges)と発生起源を共有する部分がある。
視床非VP部:
視床(thalamus)は感覚情報を大脳皮質に中継する重要な領域で、多くの核からなる。VP(ventral posterior nucleus)は体性感覚(触覚・痛覚など)を中継する特定の核。それ以外の視床領域を「非VP部」と呼ぶ。本論文では、非VP部に特異的なマーカーとしてHsd11b2を同定。
梨状皮質:
嗅覚情報を処理する古い皮質(古皮質、paleocortex)。嗅球の次に臭いの情報を受ける3番目の領域で、進化的に古く、層構造が新皮質よりシンプル。本論文では発達期に特異的なマーカーRprmlを同定。
Claustrum/DEn複合体:
Claustrum(前障)は大脳皮質の広範な領域と相互接続し、意識・注意・多感覚統合に関与するとされる細長い皮質下構造。DEn(dorsal endopiriform nucleus)はclaustrumの腹側に隣接する領域で、両者の境界や独立性が議論されている。本論文では、発達期にDEnを特異的に標識するマーカーEtl4を同定し、claustrumとDEnを区別可能にした。

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