HOME広報活動刊行物 > Jan 2018 No.028

特集

年頭所感

所長田中 啓二

田中啓二

謹賀新年!昨年は社会を震撼させるような出来事が頻発し、将来に暗雲を感じることが多かった爽快とは裏腹の年でしたが、今年は明るい未来への希望が闊歩している年になることを願っています。さて私はこれまでことある毎に「科学は文化の象徴である」と強調してきました。最近、畏友吉田賢右シニアリサーチフェロー(京都産業大学)は、「科学」と「技術」に関するさらに掘り下げた考察を展開し、科学をイメージする言葉として「基礎・大学・発見・理解・知識・知的探究心・文化」などを、そして技術を彷彿させる言葉として「応用・企業・発明・効用・商品・利潤追従・文明」などを挙げています。そして吉田氏は「科学と技術は、連続しているが別物である。しかし科学は技術を生み出す原動力である」と発言しています。とくに卓越した見識と思いますのは、科学が知的探究心にもとづいた発見であり文化の創出に貢献するのに対して、利潤追従と不可分である技術は発明であり文明興隆の基盤を形成すると喝破していることであります。科学と技術を明確に区別して「科学•技術」として同格とするか、「科学技術」即ち技術のための科学として後者を前者に従属させるかは、長年議論のあるところですが、科学が知的探究心という基礎(大学)に依拠しているのに対して技術は利潤追従という応用(企業)に直結していると、論じている点は含蓄ある主張と思われます。この吉田氏の見解は、富の生産に結びつく応用研究が「悪」であるというような軽薄な考え方ではありません。技術開発による利便性の追求は社会発展の基盤になり、結果として資産の蓄積に結びつくことは、当然の対価として首肯すべきものであります。しかしながら吉田氏の発信は、最近、科学技術の重要性を喧伝する世論の風潮を背景に、戦略性を重視した目的達成型の出口志向型研究に大型の公的競争的研究資金がトップダウン的に投入され、他方、自由な発想に基づくボトムアップ型の基礎研究の研究費が大幅に枯渇している状況にやんわりと警鐘を鳴らしているように思われます。

資源の乏しい日本の未来戦略の要諦が科学技術の発展であることは自明でありますが、近年、その根幹たる日本の科学力の長期低落傾向に歯止めが掛からない状況が続いていることに憂愁を感じざるを得ません。2017年、文部科学省科学技術・学術政策研究所が発表した日本の科学論文数や英国の高等教育専門誌が発表した「世界大学ランキング」などでの動向を見ますと、日本の学術疲弊は目を覆うばかりです。さらにライフサイエンスに関する国際的な情報サービス企業クラリベイト・アナリティクス(旧トムソン・ロイター)は、高被引用論文数、即ち発表論文の質においても日本の研究機関ランキングが大幅に低下していることを公表しました。一方、過去10年間の論文数の推移を見てみますと、日本の低下とは裏腹に、中国・韓国が4倍・2倍以上と破格に増加していること、そして欧米の主要先進国も着実に増加していることは見過ごすことのできない脅威であります。そして昨年度のNature誌には、日本の科学力衰退を揶揄するかのように「日出ずる国の黄昏」との記事がでる始末であります。

英科学誌Nature はJapan特集号(2017年3月号)で、日本の研究論文数が低迷しているのは、ドイツや中国、韓国が科学予算を大幅に増やす中、日本は2001年以降横ばいであること、そしてまた過去十数年間、国立大学の法人化に伴う改革により運営交付金が毎年1%減額され続けていることで研究者の雇用が大幅に減少していることなどが研究力低下に拍車をかけていると、警告しています。実際、文科省が発表した科学技術白書(平成29年度版)は、イノベーション(技術革新)達成のための提言が大半を占めています。勿論、イノベーションのために研究資金が投入されることも有理でありますが、問題なのは、そのために基礎研究の資金が圧倒的に不足していることであります。おそらくこの状況が持続しますと、衰退の一途を辿る日本の科学力は、四半世紀後には凄まじい勢いで成長する中国の後塵を拝する可能性が高く、文化国家としての自信喪失に到ることが危惧されます。近年、ノーベル賞を毎年のように輩出する我が国は、世界でも傑出していますが、これらの成果の多くは四半世紀前の研究で得られたものばかりであり、このまま科学力の低迷が続きますと、四半世紀後のノーベル賞受賞の栄誉の殆どはアジアの大国に委ねることに陥るかもしれません。この弱体化している日本の厳然たる現実を慎重に見極め、国家の品格(科学と文化はその象徴)を取り戻すためには、基礎研究費の充実が不可欠であります。これは、一見、予算の無定形なバラマキとの誹りを受けるかもしれませんが、基礎研究への投資こそが実は、科学力を向上させ、何よりも科学立国たる未来の日本を担う人材育成の根幹になると思われます。

この状況に危機感を募らせ、日本の基礎研究の脆弱性に警鐘を鳴らしてきた、一昨年のノーベル生理学医学賞受賞者である大隅良典栄誉教授(東京工業大学)は、「一般財団法人大隅基礎科学創成財団」を平成29年に創立しました。財団HPを覗きますと、生物学分野で国や公的機関による助成がなされにくい基礎研究や定年・任期切れ等により継続が困難となる基礎研究を助成することが掲げられており、その本旨は、現在、日本で陽が当たらないいわば科学的弱者を救済することにあるように思われます。この財団が持続的に発展し人材育成と我が国の基礎科学浮揚の足場になることを期待したいと思っています。

さて文化が繚乱していない世界において基礎研究が軽視される風潮にあることは、それなりの理由があるように思われます。それは、技術はすぐに役に立つが、科学はすぐには役に立たないという単純な論理に根差しており、一見、科学が浪費(研究者の遊び)のように思われ、漠然とした不信を拭いきれていないからであります。繁栄の象徴である富の創出に寄与することなく、ひたすら未知の解明に迫る基礎研究は、確かに一見遊びのように思われるかもしれません。しかし科学は人材育成の場を豊潤に提供するものであります。利益を度外視して自由に学問・研究に没頭することができることは、次世代を牽引する若人に無限の夢を与えることができ、基礎研究こそが眼前の利益を補って余りある「知の創出」に鋭く貢献することになるのであります。そして一見、無駄に見える基礎研究が後世の社会に予想外の恩恵をもたらしてきた例は、科学史に散見できます。

一般に「基礎研究は(いますぐには)役に立たないものであるが、応用研究は直ちに役に立つものである」と考えられていますが、実際には、それほど単純には割り切れないと思われます。私の例をとって恐縮ですが、私は2017年創設の第1回日本医療研究開発大賞(健康・医療戦略推進本部長(内閣総理大臣)賞)を受賞しました。この賞は「医療分野の研究開発の推進に多大な貢献をした事例に対し、その功績を称えること」を目的として創設されたそうです。背景には、平成27年度に日本医療研究開発機構(AMED)が発足したことがあるようですが、受賞の連絡を頂いた時、喫驚して「創薬などに資する貢献など何もしていないのに、私でよいのですか?」とお答えしたほど面食らいました。受賞タイトルは「プロテアソームの構造と機能の解明」であり、おそらく基礎研究に邁進してきた私の研究を知悉している友人たちも、私以上に驚いたと思います。「研究成果が分子標的薬を含めた抗がん剤開発の先駆けとなった」とのことでしたが、面映ゆいものでした。少し補足しますと、私はプロテアソームと名付けた細胞内のタンパク質分解装置を発見し、この酵素についてAからZ まで知ることをライフワーク研究として進めてきただけであります。その後、プロテアソームの阻害剤が多発性骨髄腫などの血液がんに対する出色の抗がん剤(ブロックバスター)となったことは事実でありますが、私自身が創薬研究を展開したわけではありません。一方、プロテアソームの阻害剤を開発した米国のベンチャー企業は、幾多の変遷を繰り返し最終的に大手製薬会社に約1兆円で買収され、その抗がん剤は世界中で多くの患者の命を救い、莫大な資産を生み続けているそうです。しかし私はその恩恵に全く与っておらず、回想すると「少しの学術的名声は得たものの、阻害剤開発の着想に至らず、一敗地に塗れる(一生の不覚!)」というのが正直な感想であります。にもかかわらず私の基礎研究が予想外に高く評価されたことは、大変に光栄なことであります。私の経験から申しますと、有用な研究と(すぐには)役に立たない研究の狭間には天地の開きがあるわけではなく、紙一重のような気がしています。私のような基礎研究に徹してきた科学者が、セレンディピティに恵まれて栄誉に浴することができるのも科学の素晴らしさかもしれません。

私は本年3月に所長を退任する予定です。平成23年に旧神経研・精神研・臨床研が都医学研に統合して早くも7年が経過しようとしています。「光陰矢の如し」とは、まさにこの状況を指す言葉でしょうか、月日の流れは早いものです。この間、新生医学研究所を軌道に乗せることに専念してきましたが、現在、若い力が結集して日々研究に没頭している状況を垣間見ますと、一つの安堵感をもって退くことができると思っています。この間、本都医学研ニュース誌には、毎年、年頭所感を記載してきましたが、ご愛読いただいた方々には、心より深謝したいと思っています。世代交代は抗うことができない時の流れですが、私は世代交代こそが、発展の起爆剤になると信じています。4月からは、新生「都医学研」が新しい執行部とともに発足します。多くの関係者の皆様には、何卒、都医学研を温かくまた厳しく見守って頂き、そして篤いご支援・ご鞭撻を賜りたく宜しくお願い申し上げます。

プロテアソーム(極低温電子顕微鏡解析)

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