HOME刊行物 > Jan. 2023 No.048

特集

年頭所感

所長正井 久雄

正井先生 photo

あけましておめでとうございます。

世界的に、大変心が痛むことが多かった2022年でした。昨年初めに、私も大変危惧していたロシアのウクライナ侵攻が、2月24日に開始し、現在もまだ、収束の光が見えません。この間に両軍に20万人の死傷者が出たと言われています。11月の半ばの報告で民間人も7,000人近くが亡くなったということです。21世紀のこの時代にこのような戦争を人類が行うとは、暗澹たる気持ちになり、深い失望感を覚えます。そして、この戦争がもたらした悲しみの量を考えると、私は言葉を失います。ある宇宙飛行士が言っていたように、宇宙から地球を見ても国境は見えません。戦争の当事者は宇宙ステーションから地球を見ながら話をしたらどうかと思います。国土を奪うために戦争を行うことがいかに愚かであるかを認識していただけるかもしれません。私たちは研究者として、傍観者としてではなく、国際社会に平和と秩序が戻るように声を上げてゆく必要があるでしょう。日本国憲法前文に『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、(中略)平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。(中略)日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。』と記載されているように、平和的な手段でこの戦争に断固反対し、戦争終結に向けて力を注ぐとともに、研究所の研究者としてウクライナの学生や研究者の受け入れなど積極的に関与していくべきと考えます。

新型コロナウイルスパンデミックは、まだ完全に収束はしていませんが、光明が見えてきました。外国への旅行もほぼ自由にできるようになり、学会なども多くが対面で開催されています。今年中には、2019年の状態に完全に戻れるようになることを期待したいと思います(この原稿の校正時には第8波で感染者数が増加しており、先行きがやや懸念されますが)。しかしこの3年間で多くのものが失われました。特に子供たち、若者が、友達と遊んだり、直接交流できなかったこと、クラブ活動などの課外活動に大きな制限を受けたことは、今後長い年月にわたり、彼らの人間としての発展に大きな負の影響を与えるでしょう。この傷をどのように修復して行くか、教育現場での大きな課題になるかと思います。

世界の科学のこの一年

2022年のノーベル賞医学生理学賞は、「絶滅した人類のゲノムと人類の進化に関する発見」の功績で独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士が受賞されました。現生人類(ホモ・サピエンス)は30万年前にアフリカで誕生し、7万年前までにユーラシア大陸に移動しました。一方、ネアンデルタール人は、ユーラシア大陸に40万年から3万年前に存在しましたが、絶滅したと考えられています。ペーボ博士は、ネアンデルタール人のゲノムの解析に成功し、そのゲノム情報がヨーロッパおよびアジアの現代人のゲノムに1-4%含まれていることを発見しました。また、東ユーラシアから発見した4万年前の古代人のDNA解析から、デニソワ人というこれまで発見されていない新しいヒト族を発見し、デニソワ人のゲノムも現代人に受け継がれていることがわかりました。『私たちはどこからきたのか』は大きな夢を抱かせる問いです。進化は実験的検証が難しいためこれまでノーベル賞の対象になっていませんでした。しかし、微量サンプルからのゲノム解析技術の発展により、進化のプロセスについて時間軸を追って解析することが可能になりました。夢のある研究と言えば今年の ”Oh my God (びっくり)” サイエンスニュースとしてカナダの極北でマンモスの赤ちゃんのミイラがほぼ完全な形で見つかったというものがありました。近畿大学ではマンモス復活プロジェクトを25年以上前に開始し、最近、シベリアの永久凍土で発見されたマンモス ”YUKA” の細胞から単離した核の一部をマウスの卵母細胞に移植し、核として維持されることを報告しました1。Nun cho ga (Big Baby Animal) と名付けられた、今回の赤ちゃんマンモスは、大変保存状態も良いようなので、今後、マンモス細胞の核移植により、現代マンモスをそのゲノムから、復活することも可能となるかもしれません。

ノーベル化学賞は、「クリックケミストリー」の発見に授与されました。「クリックケミストリー」は、アジドとアルキンが化学結合して、トリアゾールを形成する反応です。この新しい反応は、医薬品の開発などに応用可能であるとともに、生命科学の研究にも多くの貢献をしました。例えば糖鎖の可視化なども応用されていますし、細胞のDNA複製を検出するEdUの標識、検出もクリックケミストリーによる反応を利用しています。また、がん細胞の糖鎖を認識し付着する抗体にがん細胞の糖鎖を分解する酵素や、その他の分子を結合させることにより、がん細胞の新しい治療法や検出に利用されています。

3年にわたるコロナ禍は研究者の日常にも多くの変化をもたらしました。多くの研究者が、研究の中断を余儀なくされましたが、同時に、研究者として何か人類に貢献できないかと考え、多様な研究が推進され、その中でmRNAワクチンが開発され、多くの人々の命を救いました。ウイルス研究が改めて注目された一年でしたが、1リットルの海水の中に存在するウイルスは地球上の人類の数の10倍以上と言われています。このように多様なウイルスは、宿主に比較して制約が少ないため、進化の実験場とも言えます。1959年のノーベル生理学医学賞受賞者アーサー・コーンバーグ博士は、酵素学の“十戒“の一つに「ウイルスを用いて窓を開け(depend on viruses to open windows)」と述べておられます2。今後もウイルス研究は、生命に関する新たな驚き、発見をもたらし続けるでしょう。

研究所のこの一年

昨年9月に認知症プロジェクトの長谷川 成人 リーダーがクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞を受賞されたことは、研究所にとって大きな喜びでした(本号5ページ参照)。長谷川先生の研究成果は、長年にわたる認知症の発症メカニズムの基礎研究の賜物であり、研究所にとっても大きな励みとなりました。長谷川先生は、「神経変性疾患における異常タンパク質の病変形成機構」により、第24回時実利彦記念賞も受賞されております。また、佐伯 泰 蛋白質代謝プロジェクトリーダー、小谷野 史香 主任研究員は、それぞれ、令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)、若手科学者賞を受賞しました。研究所においては、若手研究者の独自の研究を支援し、独立を促すために、フロンティア研究室を創成し、平井 志伸 研究員が、脳代謝制御グループを率い独立研究を開始しました。

昨年も、8回の都民講座を開催し、そのうち7回はハイブリッドで開催し、実際に講演者の先生方にも研究所にいらしていただき対面で行いました。サイエンスカフェもon lineではありましたが、3回開催し、多くの方に参加していただきました。昨年9月から都医学研セミナーシリーズ(全11回)『老化と健康』を企画し、老化研究、健康長寿の分野の専門家の講師の先生方に講演していただいております。一般の方々の興味も大変高く、これまで4回の講演では、毎回300名近くの視聴者が聴講して下さっております。又、引き続き、新型コロナウイルスに関する最新の学術情報を週に一回ずつ発信するとともに、病気や、生命の仕組みに関する話題について、小学生でもわかるように漫画で説明する新しいサイト(けんた君の教えて!ざわこ先生)もオープンしました。

国際交流の再開に伴い、昨年12月6日には、佐伯先生が主催した23rd TMIMS International Symposium ”New Frontiers in Ubiquitin Proteasome System(UPS)”が、完全対面で、UPSの最先端の海外研究者7名の参加のもと開催されました。第22回が2019年の11月ですので、まさに3年ぶりの開催でした。研究所の関連研究者7名も発表し、議論も大変白熱し、40分以上時間が押しましたが、まさに対面での議論の醍醐味、楽しさを実感できました。又、2年前に設置したが、実行できなかった、外国人研究者招へい事業の実施が可能となり、昨年3名の外国人研究者の招聘が決定しました。今年も、このプログラムを利用して多くの外国人研究者が当研究所を訪問滞在し、研究員と交流することを期待しています。

新型コロナ対策では、引き続き、感染制御プロジェクトの小原 道法 特別客員研究員、安井 文彦プロジェクトリーダーらは、今後新たなコロナウイルスが発生した場合にも即座に対応可能なワクチンの開発を継続するとともに、東京都の要請に基づき、都内医療従事者の検体(血清)を用いて、新型コロナウイルスワクチン接種後の抗体価の推移をモニターし、データを都に提供しました。また、西田 淳志 社会健康医学研究センター長は、東京都が開催している「東京都新型コロナウイルス感染症モニタリング会議」において、引き続き定期的に滞留人口モニタリングの調査結果について報告しました。これらは東京都の感染対策の策定にあたり重要な情報となっております。

心に響く研究

昨年、エドガーの「愛の挨拶」という曲を千住真理子さんが、炎のコバケンの愛称を持つ小林研一郎さん指揮の日本フィルとともに演奏されるのを聴きました。愛の挨拶は、ヴァイオリンを弾かれる方なら多分どなたも弾かれるとても有名な曲です。どんなふうに弾かれるのかなと楽しみにしていたのですが、そのストラディバリウスから奏でられる最初の一音を聴いただけで、心にビビッと響き、涙が溢れてきました。千住さんのこのヴァイオリンの音のどのような波長が、どのような音の組み合わせがこのような感動を私の心にもたらすのかはわかりません。おそらく、偉大な美術作品も人間に同じような感動を与えるでしょう。

科学も同様であると考えています。おそらく、研究者の皆さんは、生命科学や医学研究の新しい扉を開けるような研究成果を聴講した時に、その発見の美しい話に純粋に感動した経験があるのではないかと思います。この感動は、研究者以外にも伝わるようです。以前に田中 啓二 理事長が都民講座で講演をされた後のことですが、かなり専門的な話であったので、一般の方にはちょっと難しいかなと思っておりました。ところが、帰り道、一緒に歩いていた隣の、年配の研究者ではないと思われる女性の方が『プロテアソームって面白いわね』と話されているのを聞き、本当に価値のある研究は、どのような人にも感動を与えるものだということ確信しました。

私は、当研究所においても、このような感動を与える研究を遂行し続けて欲しいと思っています。そのような研究こそ、人類に真に役立つ技術や、医療の開発につながると信じています。

最後に

今年は卯年ですから、直感的にジャンプを思い出します。干支は「癸卯(みずのとう)」。十干の癸(はかる)は種子が計るほど大きくなり春の間近でつぼみが花開く直前であるという意味、十二支の卯には「春の訪れを感じる」という意味があるそうです。ようやく長く苦しかった新型コロナから抜け出し、研究所の皆さんの研究が、新たに大きく飛躍する一年になることを予感させます。

昨年の年頭所感を書いていたのがつい先日のように思われます。歳をとると時間が早く過ぎると言われ、みなさんも多く同じように感じているのではないかと思います。子供の時は、一年はあんなに長かったのに何故だろう?と思いませんか。これは『ときめき』がなくなったからであると、聞いたことがあります。2023年が、皆様にとって、大人になっても時間が長く感じるよう、『ときめき』のある一年になることを、そして、戦争が終結し、世界中の人々が平和に暮らせるようになることを祈念して、私の年頭所感とさせていただきます。


参考文献

1.
Yamagata K et al. (2019) Signs of biological activities of 28,000-year-old mammoth nuclei in mouse oocytes visualized by live-cell imaging. Sci Rep. 9:4050.
2.
Kornberg A. (2003) Ten commandments of enzymology, amended. Trends Biochem Sci. 28: 515-517.
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