HOME広報活動刊行物 > Jul. 2015 No.018

開催報告

飛鳥井前副所長退職セミナーを聴いて

東京都医学総合研究所 病院等連携研究センター長糸川 昌成

「PTSDの症状評価・診断法とエビデンスに基づいた治療法の実用化の歩み」
~被害者支援の金メダル都市を目指して

講師:東京都医学総合研究所 前副所長飛鳥井 望 先生

飛鳥井 望 先生

飛鳥井望前副所長は退任にあたり、先生がこれまで取り組まれたトラウマ研究についてお話下さいました。30年前の自殺研究からお話しは始まり、様々な災害での取り組みをご講演いただきました。子どもを亡くされた母親が、飛鳥井先生のトラウマ焦点化認知行動療法を受けて立ち直る様子も紹介され、その場にいた人々に深い感動を与えました。以下に、飛鳥井先生の心象を精神科医として、臨床家として、研究者として糸川がスケッチします。

誰にでも、かすかな切なさを伴って想い起こされるような、心地よい記憶の断片があるのではないでしょうか。それは、大切に反芻されることもあれば、ふとした拍子になんの脈絡もなく脳裏に蘇ってくることもある。見上げる眼差しのかなたに記憶の風景が広がることを意識してみると、幼くてまだ小さかった自分にとって、周囲の全てが高くせり立つ存在だったからだと気づかされます。そうした記憶が呼び覚ます、わずかに哀しみを帯びたような懐かしさは、ときに、かすかな香りさえ伴っていたりさえする。記憶の景色のなかでは、まだ若かった父が夕暮れ時に庭の落ち葉を焼いていて、モズの高い鳴き声がする方角を振り向きながら、煙のたなびく先の冬空を見上げていました。幼かった日の記憶の切なさに浸っていると、落ち葉の焼ける匂いさえ、焚き火のぬくもりとともに脳裏に立ちあがってきたものです。

記憶が伴うものは香りやぬくもりだけでなく、脳裡の光景を体験したときの情動までが、時空を超えて運ばれます。ふと浮かんだ記憶の断章が切なくも温かな懐かしさをまとうならば、人は日々の忙しさから逃れ、しばしの白昼夢に癒されることもある。人は大切な体験のぬくもりを反芻できるから、些末に追われながらもなんとかその日を終えられるのかもしれない。今日も良く頑張りました。自分で自分を褒めるかのように。

思い出したい記憶は自分の自由になることが多いのに、思い出したくない過去は、消そうとするほど蘇ってきます。それは、自生的でさえあり、しかも、強い情動を伴います。津波に流される肉親の苦悩に満ちたまなざし。ちらちらと降り始めた雪に凍えた手のかじかみまでも。離すまいとする自分の手を振りほどいて。もう、あなただけ逃げなさいという母の声。消し去ろうとすればするほどありありと、強い悲嘆と自責、喪失感を伴って被災者を圧倒します。

記憶を封印しようとすると、記憶は未消化なまま残り続けます。未消化な記憶ほど、いつまでも生々しく、だからこそ抗しがたい強さで気持ちを込み上げさせ、しかも自分の自由にならない悪循環の砂地獄へと引き込むのです。常に亡くなった人のことが頭から離れない。まだ帰ってくるんじゃないか。「ただいま」って声さえ聴こえたり。被災者に精神科医がしたことは、話せるときに話せる人に体験を聞いてもらうことでした。もう一度、トラウマの記憶を整理して話すこと。安全な場所で、安心できる人に、込み上げる気持ちを受けとめてもらいながら、もう一度辛い体験を語ること。話せるときにだけ、話せる人に。これを辛抱強く繰り返していると、トラウマの記憶は徐々に新しい記憶に育っていきます。それは、「忘れましょう」ではなく、「もう大丈夫ですよ」という新しい記憶です。

トラウマ研究の泰斗、飛鳥井望前副所長は研究所の最後の日に、私たちに人がもつ回復する力を思い出させてくださいました。そして、人の心が人によって蘇る素晴らしさを示してくださいました。

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