Jul. 2020 No.038
副所長(新型コロナ対策特別チーム 統括責任者)糸川 昌成
ある日、突然たくさんの住民が高熱を出した。震えがきて、咳がさかんに出る。たちまち村中に不思議な病は広がり、住民たちはおびえた。が、村人たちの心配をよそに、病はあっという間に去っていった。(ヒポクラテス、リヴィ 紀元前 412 年)1)
『虎狼痢治準』
(京都大学附属図書館所蔵)を改変
ギリシャ・ローマ時代の歴史書「プルターク英雄伝」にも、紀元前430年にアテナイでパルテノン神殿が完成し兵士を狭い城内に招集したところ疫病が流行したとの記述があります。ここでは、いわゆる「三密」が感染拡大を引き起こしたことにまで触れられているのです 2)。わが国でも天然痘がたびたび流行し、用明天皇(聖徳太子の父)も587年に天然痘で崩御しました。天平7年(735年)の天然痘の大流行では、推定死亡者数が当時の総人口の3割(100 〜 150 万人)にも上りました 3)。洋の東西を問わず疫病の記録は枚挙に暇がありませんが、私たちはただ伝染病の流行に手をこまねいていただけではありません。嘉永2年(1849年)、佐賀藩医の楢林宗建がバタビア(現 在のジャカルタ)から牛痘の痘苗(カサブタ)を取り寄せ種痘に成功すると、その痘苗を入手した緒方洪庵は大阪に除痘館(種痘所)を開設しました 4)。洪庵は、当時流行していたコレラの治療法を不眠不休でまとめ、『虎狼痢治準』 (治療ガイドライン)を発行して治療にあたりました 5)。 幕末には蘭学を通じて西洋医学と近代科学が輸入されたからこそ、感染症に科学的な対応がとれたのです。
わたしたち都医学研も、新型コロナウィルスに立ち向かうべく「新型コロナ対策特別チーム」を5月20日に設置しました。この特別チームは、開発研究グループ(ワクチン開発班、抗体検査班、関連研究班)、対外連絡調整グループ(契約班、都立病院等連絡調整班、都庁等連絡班)、研究支援・広報グループ(研究支援班、機器調整班、普及広報班)から編成され、東京都の各部署と連携をとりながら新型コロナウィルスの研究開発を進めています。幕末に蘭学者たちが疫病と戦ったように、都医学研もサイエンスを武器にこの難局の打開をめざしているのです。
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