Jul. 2020 No.038
ゲノム動態プロジェクトのYang Chi-Chun 研究員、正井久雄所長らは「Cdc7 はヒト細胞においてClaspinのChk1結合ドメインをリン酸化することにより複製ストレスチェックポイントを活性化する」について米国科学雑誌「eLife」に発表しました。
ゲノム動態プロジェクト 研究員Yang Chi-Chun
ヒト細胞のゲノム30億文字すべてをコピーするには、6時間から8時間かかります。この過程が中断されると、ゲノムに傷がつき、遺伝子が変化する可能性があります。これを防ぐために、細胞は、DNA複製前、複製中、複製後にゲノムの健康状態を調べ、次の段階に進む準備ができていることを確認します。細胞がDNA複製しているときに問題を検出すると、チェックポイントキナーゼと呼ばれるタンパク質を活性化して応答します ( チェックポイント反応 )。これにより、問題が解決するまで細胞のDNA複製を一時停止します。これらのチェックポイントキナーゼの1つはChk1と呼ばれるタンパク質で、DNAのコピー作業が途中で止まるとスイッチがオンになります。この過程が正しく作動しないと、細胞のゲノムに沢山の傷がつき、時には細胞が死んでしまいます。
Chk1のスイッチをオンにするには、まず細胞がClaspinというタンパク質を活性化する必要がありま す。Claspinを活性化するには、Claspinタンパク質の一部にリン酸基を付加する必要があります。この仕事を行うタンパク質の正体については議論がありました。最近の研究ではカゼインキナーゼ1(CK1)と呼ばれるタンパク質がこの役割を果たす可能性が指摘されていました。しかし、私たちはCdc7キナーゼという別のタンパク質が関与している可能性を想定し、検証しました。
私たちはゲノム編集技術を用いて、ヒト癌細胞におけるCdc7の発現レベルを低下させました。その結果、細胞は通常の条件下でDNAをコピーすることができましたが、DNA複製が停止するとChk1を活性化できませんでした。さらに、Cdc7がないと、Claspinは必要なリン酸基を十分受けとれないことを明らかにしました。意外なことに、正常な細胞では、Cdc7を低下させてもChk1の活性化はあまり影響を受けませんでした。一方、正常細胞では、もう1つの候補タンパク質であるCK1を阻害するとChk1の活性化が大きく低下しました。このように、がん細胞はCdc7、正常細胞はCK1を主に用いて、複製が停止したときのChk1の活性化をもたらしていることが明らかになりました。
副作用のない制がん剤は、正常細胞を傷つけず、がん細胞のみを選択的に排除する事が期待されます。しかし、正常な細胞のゲノムが変化して生じるがん細胞のみを標的とする薬を開発することは容易ではありません。従って、がん細胞のみに見られる性質を発見し、それを標的とする治療薬の開発が進んでいます。DNA 複製を阻害するとゲノムに傷がつきやすくなり、時には傷を修復できずに細胞が死んでしまいます。今回の研究からDNA複製阻害に対する細胞の防御システムが、がん細胞と正常細胞で異なっている事が明らかになりました。がん細胞では、タンパク質にリン酸基を共通結合で付加するCdc7と呼ばれる酵素がこの防御システムに重要な役割を果たします。一方正常細胞では、別のタンパク質がこの役割を担います。この発見から、Cdc7を標的とすることにより、がん細胞特異的に複製阻害に対して感受性を高め、がん細胞死を誘導し除去できる可能性が示されました。
複製が予期せずに停止すると細胞は、図の右側に記載される複製チェックポイント反応を誘導する。Claspinはこの反応経路で、複製停止の信号を伝えるために重要な役割をはたす。今回、がん細胞と正常細胞は、異なるタンパク質を用いてこの経路を活性化することを発見した。すなわちがん細胞はCdc7キナーゼを用いるが、正常細胞では主にCK1キナーゼに依存する。この違いを用いて、Cdc7を標的としてがん細胞のみを選択的に除去する治療戦略が可能となる。実際にCdc7は制がん剤の標的として開発が進んでいる。