Apr. 2021 No.042
糸川昌成副所長らは「神経細胞の形は人それぞれであり、脳の場所でも違うことを発見」について英文誌 Translational Psychiatry に発表しました。
副所長糸川 昌成
私たちが誰かを「親切な人だ」と言うとき、それはその人のどこかに「親切」な何かが存在するからではなく、親切なふるまいが繰り返されるからそう判断します。相手の都合を顧みることなく自分の事情を優先させる行いが繰り返されれば、利己的な人物と評価されます。私たちが人を了解する営みのなかで、親切とか利己的といった言葉はふるまいの記憶の積み重ねに名付けられた符合のようなもので、身体を隅々まで調べたからといって親切なたんぱく質や利己的な結晶体が発見されるわけではありません。
このように、ふるまい自体は形もなければ触れることもできないのに、形あるものの見え方を映えさせることができます。たとえば、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルを虜にした絶世の美女クレオパトラですが、『プルターク英雄伝』の作者プルタルコスによると「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見るものをはっとさせるものでもない」(『アントニウス伝』)と言います1)。しかし、彼女は豊かな教養の持ち主だったようで、エチオピア人、ヘブライ人、アラビア人などギリシア語を話さない人々と、通訳を介さずに話せたのだそうです。奇想天外な思いつきも得意だったらしく、大きな布で自分を包ませ、まるで荷物のように紐で縛って王宮へ届けさせ、まんまと敵の目を欺いてカエサルの前に現れました。大胆な奇策で小包から登場したクレオパトラに、カエサルは一目で虜になりました。目鼻立ちや背格好ではなく、彼女の非凡な個性によって人々は魅了され、絶世の美女との評判がたったのです。
個性がその人らしいふるまいの積み重ねだとすれば、親切な人が相手の気持ちを察したり、利己的な人が損得を判断する、そんな察したり判断を行う脳に個性のゆかりが見当たらないだろうか。今回の私たちの研究から、そんな疑問にヒントを与えるような成果が得られました。
私たちは、東海大学の水谷隆太教授、名古屋大学の尾崎紀夫教授、米国アルゴンヌ国立研究所との共同研究で、亡くなったヒトの脳を用いて神経細胞の立体構造を1万分の1ミリ脚注)レベルまで精密に解析しました。神経にはひも状の突起がいくつも伸びていて、その突起を介して他の神経と情報のやり取りをしています。脳の定められた場所を2か所決めて8名の方で比べてみると、突起の伸び方(曲がり加減や太さ)が人によって違っていることが明らかになりました。神経は、突起に微弱な電気を流すことで情報を送信していますので、突起の曲がり具合や太さの違いは電気の流れ方にも影響します。察したり判断するときの電気の流れ方が、人それぞれで異なっているかもしれません。統合失調症を経験された4人は、経験されたことのない4人と比べて曲がり加減が大きく、病気や服薬との関連が示唆されました。
多数派と少数派があったとき、とかく私たちは数の多い方を標準と見なしがちで、ときとして少数者が蔑視や排除の対象にされることすらあります。しかし、ひとりひとりが神経細胞のレベルから異なった形をしているという事実は、「誰一人多数者はいない、実は誰もが少数者なのだ3)」ということを示していないでしょうか。
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