東京都医学総合研究所のTopics(研究成果や受賞等)

HOMETopics 2014年

TOPICS 2014

2014年10月31日

米国科学雑誌「Neuron(ニューロン)」に学習記憶プロジェクトの齊藤 実 参事研究員、堀内 純二郎 主席研究員らの研究成果が発表されました。

加齢による記憶力低下はグリア細胞の機能不全によることを発見
~加齢による記憶力低下の治療に期待~

(公財)東京都医学総合研究所の堀内純二郎(ホリウチ ジュンジロウ)主席研究員、齊藤 実 (サイトウ ミノル)参事研究員は、東京大学の山崎大介(ヤマザキ ダイスケ)助教との共同研究で、加齢による記憶力低下の分子メカニズムを、ショウジョウバエを用いて明らかにしました。

アルツハイマー病や先天的な記憶障害だけでなく、加齢による記憶力の低下(加齢性記憶障害)の改善もクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life, QOL)の向上に必須です。これまでにも研究はさかんに行われてきましたが、加齢による記憶力低下のメカニズムは依然として不明な点が多く、治療法も確立されていません。今回ショウジョウバエを用いて神経細胞でなく、それを囲むグリア細胞での「代謝バランスの変調」が加齢性記憶障害の原因となっていることを解明しました。さらにこの「代謝バランスの変調」により不足したD-セリン*1というアミノ酸を、加齢性記憶障害を起こしている加齢体に与えると記憶力が改善することも解明しました。

本研究から、加齢性記憶障害の改善には神経細胞だけでなくグリア細胞からのアプローチが有効であることが分かりました。またD-セリンのような働きをもつ化合物の開発によって歳を取っても高い記憶力を回復することが可能になると思われます。

この研究成果は、米国科学雑誌「Neuron(ニューロン)」の10月30日正午(米国東部時間)付オンライン版で発表され、さらに11月19日(米国東部時間)発行の「Neuron(ニューロン)」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

新学術領域研究 領域提案型

領域名 「多様性から明らかにする記憶ダイナミズムの共通原理」
研究課題 「記憶情報の変換ダイナミズムを担うショウジョウバエ神経・分子マシナリーの解明」
研究者 齊藤 実(公益財団法人東京都医学総合研究所 参事研究員)
研究期間 平成25年11月~平成29年3月

基盤研究(A)

研究課題名 「ショウジョウバエで見出された酸化ストレス非依存性の新規脳老化機構」
研究者 齊藤 実(公益法人東京都医学総合研究所 参事研究員)
研究期間 平成25年4月~平成28年3月

1.研究の背景と経緯

加齢による記憶力の低下(加齢性記憶障害)は円滑な日常生活を送ることを困難にするだけでなく、社会参加の機会を制限するなど、高齢者のQOLを低下させる要因となります。しかし何故歳を取ると記憶力が低下するのか?分子レベルでの原因は良く分かっていません。分子レベルでの原因を調べるためには、遺伝子操作を行った個体を作成し、さらに歳を取らせて記憶を調べることが必要ですが、哺乳類モデルではマウスでさえ寿命が2-3年と長いため、いくつもの遺伝子操作を行い、効率的に研究を進めることが困難です。

ショウジョウバエは寿命が1-2ヶ月と短く、これまでにも老化や記憶のメカニズムが調べられ、哺乳類と共通する仕組みが明らかにされてきました。我々はこのショウジョウバエをモデル動物として用いて、ヒト同様ショウジョウバエも加齢性記憶障害を起こすこと、さらに加齢性記憶障害が起こりにくくなっている変異体などを見つけてきました。今回この加齢性記憶障害が起こりにくくなっている変異体を用いて、何故歳を取ると加齢性記憶障害が起こるのか?その仕組みを詳しく調べました。

加齢性記憶障害が何故起こるのか?について、これまでの研究は歳と伴に低下する神経細胞の機能に焦点が当てられてきました。また一般には、老化のリスク因子とされている酸化ストレスが加齢性記憶障害も引き起こすと考えられています。しかし本研究から、歳をとりグリア細胞による神経細胞の調節機能が低下すると加齢性記憶障害が起こることが分かりました。

2.研究の概要

通常ショウジョウバエの加齢性記憶障害は成虫となって20日後に顕著となりますが、我々が先に見つけた加齢性記憶障害が起こりにくくなっている変異体では、20日後でも正常な記憶力を保っています。そこで野生型と、この変異体では年取って起こる変化にどのような違いがあるのか調べたところ、歳と伴にピルビン酸カルボキシラーゼ*2という酵素の量が増えて、エネルギー代謝バランスが崩れると加齢性記憶障害が起こることが分かりました。面白いことにピルビン酸カルボキシラーゼは神経細胞ではなく、神経細胞の機能を支えるグリア細胞で発現していました。また一般に老化の要因として酸化ストレスの蓄積が考えられていますが、歳をとってピルビン酸カルボキシラーゼが増えることは酸化ストレスが原因ではないことも明らかになりました。

では何故ピルビン酸カルボキシラーゼの活性が上昇すると記憶障害が起こるのか?我々はピルビン酸カルボキシラーゼの活性が上昇するとD-セリンというアミノ酸の産生が低下することを見つけました。D-セリンは学習や記憶に重要な役割を果たすNMDA受容体の機能活性化因子として働くことが知られています。実際D-セリンを、加齢性記憶障害を起こしているハエに摂取させたところ、記憶力が顕著に回復しました。以上のことから加齢性記憶障害の原因の一つは神経細胞ではなく、グリア細胞の、エネルギー代謝障害によるD-セリンの合成低下によること、D-セリンを補填してやれば記憶障害が改善することが分かりました(参考図)。

参考図


若いときはピルビン酸カルボキシラーゼ(PC)の活性は高くないのでD-セリンの合成と神経細胞への放出は正常なため記憶も正常。歳をとると老化シグナルにより量が増えて活性が高くなったPCが結果的にD-セリンの合成を阻害する。その結果神経細胞への放出が低下し記憶障害が起こる。

3.今後の展望

本研究からグリア細胞で代謝バランスが崩れるとD-セリンの合成が低下して加齢性記憶障害が起こること、D-セリンを補填してやれば歳と伴に低下する記憶力が改善することが分かりました。しかしいくつかの重要な問題が残っています。先ずD-セリンはハエでは食べて脳に到達しましたが、ヒトではそうはいきません。D-セリンをどのようにして脳まで届けるかを解決する必要があります。D-セリンの量が少なくなる原因はグリア細胞での代謝バランスの変調ですが、この代謝バランスを正常に保つ方法が見つかれば、D-セリンの投与とは異なる、もっと簡便な方法で脳老化を防ぐことも可能になるでしょう。

またピルビン酸カルボキシラーゼの量が歳と伴に増える原因が酸化ストレスでないとすれば、何故増えるのか?が依然として不明です。この酸化ストレスとは異なる老化シグナルが分かれば、新たな、体の老化とは異なる、脳の老化メカニズムの発見に繋がるかも知れません。

【用語説明】

※1 D-セリン:
グリア細胞から放出されるアミノ酸。学習記憶に必要な、神経細胞にあるNMDA受容体の機能を亢進させる。
※2 ピルビン酸カルボキシラーゼ:
ピルビン酸から糖新生やエネルギー産生の中間産物となるオキサロ酢酸を合成する。ピルビン酸は代謝ネットワークの鍵となる化合物。ピルビン酸を起点として、エネルギー産生や、糖新生、アミノ酸合成など各種代謝反応が起こる。

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