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特集

新年度挨拶

理事長田中 啓二

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都医学研NEWSの新年度の挨拶文に暗澹たる世相について記載せねばならないことは、断腸の思いであります。勿論、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)が引き起こした新型コロナウイルス感染症COVID-19のパンデミック(大流行)のことです。一昨年の末、中国武漢で顕在化した新型コロナウイルス感染症は、空路や海路など交通機関の発達で、瞬く間に世界の隅々まで広がりました。本年1月20日、バイデン米国新大統領は、就任演説で「米国の歴史の中で、今ほど試練や困難に満ちた時代は殆どなかった。100年に1度出現するか否かのウイルスが静かに蔓延り、米軍が第2次世界大戦で失ったのに匹敵する命を1年間で奪った」と述べました。現在(2月上旬)、COVID-19の累計感染者数は全世界で1億人を越え、米国が約1/4を占めます。実際、米国におけるCOVID-19による死者は、45万人を越えています。日本の感染者数40万人、死者数6,500人余と比べますと、米国の人口が約3倍とは言え、その感染状況は極めて深刻な事態と言えます。ペストやスペイン風邪に続く衝撃的な大型感染症COVID-19が医療制度の整った21世紀に来襲するとは、世界中の多くの人が予期していなかったと思われます。私自身も歴史的な物語としか思っていなかったパンデミック感染症の到来を、生きている間に経験するとは思いもよりませんでした。このCOVID-19の襲撃を目の当たりにして、家族や近しい人々の感染が現実のものに感じられてきますと、日々漠然とした不安に苛立ちを募らせざるを得ません。


新型コロナウイルス感染症COVID-19には、不思議なことが色々とあります。感染症は一般に発展途上国など弱者の多い地域で拡大する傾向にありますが、COVID-19は欧米などの先進国でも増加の一途を辿っています。勿論、ウイルスは人種を選びませんので、この事態は不思議でないのかもしれませんが、それにしてもCOVID-19の強い感染力は、世界中を恐怖の淵に誘い込みました。また日本やアジア圏では、欧米に比較して、感染率・死亡率が桁違いに低いことは驚くべきことです。この地域性の違いには、人種(遺伝子)や環境・生活習慣の違い、BCG接種の有無(交差免疫)など様々な理由が喧々諤々に議論されてきましたが、何が主たる要因であるのかは、依然として不明なようです。しかしその解明はパンデミックなウイルス禍をグローバルに克服するためのヒントになるかも知れません。新型コロナウイルスの伝播ルートですが、飛沫感染や接触感染が主で空気感染は殆どないと考えられています。そのための感染予防措置が国内外で様々に講じられていますが、その核心は詰まるところ人の移動による接触を抑制することに尽きるようであります。現在、日本では、COVID-19の〝第3波〟の途上にあり、2回目の緊急事態宣言が発出されていますが、その効果は覿面で1回目の時と同様、発出後2週間程度が経過しますと、感染者数は明らかに減少に転じているようです。しかし欧州ではさらに厳しいロックダウン(都市封鎖)が長い間強制力をもって施行されていますが、感染者数はやや低減傾向にあるものの激減するという事態には至っていないようです。これも不思議なことです。しかし社会活動、経済活動、文化活動には、人々の接触が不可欠でありますので、人類の生存と繁栄を考えますと、人の移動抑制による活動制限が大きな問題を孕んでいることは、言うまでもないことです。何れにしましても感染症対策は行政による強制的な措置によらずに、個々人が罹らない・感染させないための生活規範を十分に意識することがとても重要であると思われます。


有史以来、数多の感染症が人類を脅かしてきましたが、我々が根絶できたのは唯一天然痘のみで、その他の新興・再興感染症は、大規模感染に至らなくても絶えず世界各地で散発的に発生しています。従ってこの新型コロナウイルスを撲滅させることは、至難と思われますので、人類はこのウイルスとの共生を図らざるを得ないのかも知れません。理想的には「ゼロコロナ」を目指すべきですが、現実的には「ウイズコロナ」を甘受しつつアフターコロナの時代を生きてゆくしか手段はないように思われます。 世界を俯瞰しますと、現在なおCOVID-19は減少傾向にあるとはいえ、依然として収束の兆しは見えていません。殆どの国々においてCOVID-19は筆舌に尽くし難い社会的、経済的、文化的被害を引き起こしています。この想像を絶する富の損失は、世界戦争の如き悲惨さを人類にもたらしています。これらの損失は、COVID-19が克服できれば、途轍もない時間を要するとしても、復興によって補填できるようになると思われますが、失われた命は二度と甦りません。従って、命を守ることが最も重要であることは、論を待ちません。そして一国のみが一時的にウイルスの駆逐に成功しても、感染力の強いウイルスの場合、国外から侵入して再度感染を引き起こす可能性が高いので、世界が連帯してパンデミック感染症に打ち勝つような仕組みを構築してゆく必要があると思われます。


細菌やウイルスなどの病原体に対する免疫を獲得するワクチンは、感染症に対する最も有力な予防手段であり、感染発症や重症化の阻止などの治療効果も期待できますので、COVID-19がパンデミックになって以来、世界の多くの国々でワクチンの開発が、メガファーマ(巨大製薬企業)を中心に強力に推し進められてきました。ワクチンには従来型の弱毒性ワクチン・不活化ワクチンがよく知られていますが、今回のCOVID-19ワクチンの場合、DNAワクチン、mRNAワクチン、ウイルスベクターワクチンなど新手法による開発戦略が導入されました。とくにmRNAワクチンは、不安定という欠陥があるものの開発時間が極端に短縮できる他、ウイルスの変異による強毒化に対しても設計図の書き換えのみで容易に対応できる利便性もあるようです。通常、新しいワクチンの開発には、約10年程度の長期間を要することが常識でしたが、新型コロナウイルスに関しては異例ずくめであり、何と1年足らずの凄まじいスピードでワクチン開発に成功して接種に至っています。この背景には、勿論、莫大な開発資金が投じられたこともありますが、これらの新規モダリティワクチンの開発は、2003年に発生したSARS以後の基礎研究が進んでいたこと、作製されたワクチンの安全性や有効性を検証する「非臨床試験」や「第1から第3相の臨床治験」が異例の短期間で進められたこと、また生産・供給体制の強化や薬事申請・審査承認の迅速化が図られたことなどが主な要因と考えられています。しかもこれらの新規モダリティワクチンは、感染防御に対して90%以上という非常に高い有効性を示しており、獲得免疫(抗体による液性免疫やキラーT細胞による細胞性免疫)のみならず自然免疫も誘導できているようです。


ワクチンの唯一の懸念は、安全性です。ワクチンは健康な人や基礎疾患のある人に接種するので安全性を担保することが極めて重要であります。しかしCOVID-19ワクチンは余りにも短期間で市場に出たので、当初、多くの免疫学者たちから安全性の検証が十分でないとの批判がありました。しかし現在までの接種状況を見聞する限り、高熱や倦怠感など弱い副反応が報告されているものの深刻な副反応(接種直後の強いアレルギー反応であるアナフィラシキー、数週間後に出る神経障害、接種後のADE抗体依存性感染増強など)は殆ど出ていないようです。しかしなお副作用の懸念は完全には払拭されていませんので、長期間の慎重な検証が今後必要と思われます。ワクチン接種には、発症予防のベネフィットと副作用のリスクを見極めることが肝要ですが、それにはワクチンに関する正確な情報が必要です。現在、開発が進んでいるワクチンの詳細については、日本感染症学会が、昨年末に「COVID-19ワクチンに関する提言(第1版)」を発表していますので、ご参照ください。COVID-19ワクチン接種の是非については、なお議論の余地があるとしましても、究極的なウイルスの撲滅には、集団の大部分が免疫を持ち感染の連鎖を断ち切れる「集団免疫」の成立が不可欠です。集団免疫の獲得には、多くの人たちがワクチンを接種することが必要であると思われます。現在までの外国の報告では、感染率が数十%の国でも国民の半分以上がワクチンを接種してもまだ集団免疫は成立していないようです。地球規模にワクチン接種が拡大して、多くの国々で集団免疫が成立できることを期待したいのですが、集団免疫については、まだ不明なことも多いようです。


最後になりましたが、COVID-19対策に関しては、我が都医学研も様々に取り組んでいます。その詳細は、本年の都医学研NEWS1月号に正井所長が詳述していますので、ご覧頂きたいと思います。特に東京iCDC(東京感染症対策センター)には、疫学研究の西田淳志社会健康医学研究センター長や、都民の抗体検査を実施している小原道法特別客員研究員が参画しています。西田センター長のグループは、東京都の主要繁華街夜間滞留人口の推移を携帯電話の位置情報から解析して、定期的に東京都新型コロナウイルス感染症モニタリング会議に報告しています。また小原研究員のグループが行っている膨大な都民の抗体検査は、COVID-19の市中感染の動向把握のヒントになりますし、加えて同グループは、現在、安全性の高いワクシニアウイルスベクターを用いた有用なワクチン開発を行っており、すでにモデル動物を用いた非臨床試験では有効性が確認されています。現在、臨床治験を視野にいれた迅速なワクチン開発を目指しています。COVID-19の最新の情報や研究動向については、当研究所HPの「新型コロナウイルス関連サイト」欄に随時掲載していますので、ご覧頂ければ幸いです。


人類は、幾度も悲惨な疾病に襲われながらもその都度試行錯誤しながら知恵を絞り、知性を働かせてそれらを克服してきました。新型コロナウイルス対策で培ってきた経験と知識は、次に到来することが予見される未知の感染症の予防や治療に大いに役に立つであろうことは、疑いの余地がありません。また中世に発生したペストは、筆舌し難い甚大な損害で人類を脅かしましたが、ペスト終息後には「再生・復活」を意味するルネッサンスという歴史上かつてない優れた文化運動を西欧にもたらしたと言われています。「歴史は繰り返す」の喩えのように、今、立ち往生している新型コロナ禍ではありますが、それが収束した後に大きなうねりとなって巻き起こるであろう、輝きに満ち溢れた人類の魅惑的な世界の到来を信じたいと思います。


「旧東海道歩き」余話

一昨年の2月、日本橋から旧東海道歩きを開始し、8月には京都三条大橋から同時に歩き始めた畏友永田和宏さん(歌人・細胞生物学者)と中間地点の袋井宿で再会、親しい仲間たちも集まって大宴会をしたことは、昨年の挨拶文に記しました。その後熱田神宮のある名古屋の宮宿まで到達し、昨年中には東海道を踏破できると信じきっていましたが、この街道歩きはCOVID-19の来襲によって中断を余儀なくされています。何と言っても「街道歩き」は、不要不急の外出の典型であり、新型コロナウイルス感染症が終息するまでの停滞は止むを得ないことですが、本年中に新型コロナ禍事情が改善され、「街道歩き」が再開できることを希望しています。

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