HOME刊行物 > Apr 2022 No.045

特集

新年度挨拶

理事長田中 啓二

Tanaka photo

新年度の挨拶は希望に満ちた清しい文章で飾りたいと思っていましたが、一昨年初頭以来、錯綜と混迷を続けるCOVID-19パンデミック(世界的大流行)の余波を受けて、その動向に言及せざるを得ません。デルタ株(第5波)が収束に向かい、普段の生活を楽しんだのも束の間、僅か3ヶ月後の本年1月初旬からオミクロン株(第6波)が凄まじい勢いで日本を席巻、現在(2022年2月初旬)、まだ感染のピークが見通せない暗澹たる状況が続いています。本感染症は新たな変異株が周期的に出現し、感染者総数は欧米を中心に世界的に今なお拡大の一途を辿っています。一般にパンデミックの収束には「自然感染」と「ワクチン接種」による集団免疫の獲得が必須と考えられていますが、その状況は各国の事情により大きな違いがあり、これが新型コロナウイルス感染症の克服を困難にしています。と言うのもグローバリゼーションの進んだ今日、コロナの撲滅は一国のみの対応では困難であり、感染が世界的に解消されるまで、その火の粉は燻り続け噴火のように勃発して爆発的に大流行するからであります。

集団免疫による感染防御については賛否両論があり、実際、集団免疫論には肯定的・懐疑的な面々の論陣が張られ、双方の主張にはかなりの温度差があります。しかし新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対する画期的なmRNAワクチンの登場により、ワクチンの有効性は揺るぎないものとなっています。但し、その効果の持続性には懸念が残されており、間歇的な接種が必要なようです。ワクチン接種にはためらい(Vaccine Hesitancy)や根強い反対意見もあり、それらには副反応への恐怖から宗教・思想・政治信条(党派性)・陰謀論に至るまで様々な忌避要因が蠢いています。何れにしても大部分の国民が抗体を獲得しないと、集団免疫の成立は難しいようですので、世界レベルでの達成となりますと、至難と言わざるを得ないようです。これらの事情を勘案しますと、人類は、今後数年間はCOVID-19の脅威から完全に払拭されるには至らないのかも知れません。

他方、コロナ収束には集団免疫の獲得以外にもエラーカタストロフィー(変異ミスの集積による破局)説など多々の要因が喧々諤々に議論されていますが、ウイルスが日々進化し淘汰を繰り返していることは間違いがないと思われます。夥しい変異の結果、その多くはウイルスの弱毒化や増殖不能を(もたら)しますが、時々新型コロナウイルスα株、δ株、ο株のように次々と強毒化してパンデミックを引き起こします。このようにウイルスは巧妙で狡猾ですが、強毒株への変貌はウイルスにとっては生き延びるための止むを得ない手段であり、それに失敗しますと、ウイルスは生存不能に陥り感染症は終息に向かいます。しかしいつどのようにしてウイルスが強毒化変異に齟齬をきたして自然に淘汰され消滅してゆくかは、誰にもわかりません。

科学が成し得る手段としては、ワクチン以外に抗ウイルス薬の開発もありますが、変異株に対応した有効性の検定や安全性の確保など克服すべき難題が山積しており、特効薬が市場に出回るにはまだかなりの時間を要しそうです。しかし多くの大学や製薬企業の研究者たちがしのぎを削って治療薬の開発を進めていますので、それらが成功して一刻も早い効果的な抗コロナウイルス薬が登場することを期待したいと思っています。

さて巷間いわれていますように主なSARS-CoV-2の伝播が接触感染や空気感染でなく飛沫感染だとしますと、私たち一人ひとりが“唾の交換”を阻む行動を沈着冷静に守ってゆくこと以外に有効な術はないようです。しかしコロナに怯懦(きょうだ)してただ自粛一辺倒では、社会活動や研究活動の停滞・疲弊を招くことは自明であり、結局、コロナとの折り合いをつけること(俗に言うwith Corona戦略)が必要であることは、多くの識者の言う通りですが、実際に行っている手段は世界各国バラバラで、共生のための適切な処方箋が見当たらないというのが現状のようです。新型コロナウイルス襲来から2ヶ年余が経過して私たちは色々な知識を学び経験を積んできましたので、今年こそは、叡智を持ってその克服に向けてチャレンジしてゆくこと、言い換えますと、感染を恐れずしかし感染しないように慎重に振る舞うことで、新たな活動への突破口を拓いてゆくことが不可欠であると思われます。


自宅逼塞が長引きますと、時間を持て余すことになり、必然的に読書量が増えるのは止むを得ません。1ヶ月前の年末年始の間に、数年前に読了していた二つの科学史書を再読しました。一つは「疫病と世界史」(ウイリアム・H・マクニール:中公文庫上下 2007年刊)、もう一つは「がん -4000年の歴史-」(シッダールタ・ムカジー:早川書房上下巻2016年刊)という分厚い本でした。現代においても人類の大きな脅威であるがんと感染症の歴史について豊富な資料を駆使して深く考察した傑作ノンフィクションです。

地球には多種多様の病原微生物が存在し、伝染病は感染症の類義語でありますが、古来、伝播する感染症の流行は疫病といわれてきました。感染症は人類の出現以前から存在し、人類の歴史はまさに感染症の歴史でもあるという指摘は首肯(しゅこう)できます。「疫病と世界史」には実に多くの歴史的事実が客観的に記載されていますが、私の興味を惹いたのは以下の論点です。ある感染症の発症が一定の地域に止まる限り、即ち徒歩圏内に止まっているような疾病は風土病(エンデミック)であり、世界的流行(パンデミック)には至りません。人類に最大の脅威を与えた感染病ペストの世界的規模の拡大には、移動手段の発達が大きな要因となっていました。徒歩、馬、帆船など速度が緩やかな移動の場合には、感染症菌が拡散する前に宿主であるヒトを殺戮するので、結果的にパンデミックに至らないのとのことであります。ところが蒸気船が発明・開発され、大航海時代に至りますと、船脚(進行速度)と積載の容量が飛躍的に拡大し、感染症の拡大がパンデミックとなってきたとのことです。翻って現在のように空路が世界中に網の目のように張り巡らされているグローバル社会を考えますと、パンデミックは猛烈なスピードで世界の隅々まで拡大します。人類の利便性の向上が感染症の拡大に拍車をかけてきたということになり、パンデミックが文明病と言われる所以であると思われます。本書は、COVID-19が蔓延している現代において広く読まれるべき大作と思います。

皆さんご存知のようにがんは感染症と同じように有史以来人類を苦しめてきた、そして今なお死亡率の高い代表的な疾病です。「がん -4000年の歴史-」は、人類が紀元前数千年前からがんと闘ってきた攻防の歴史を、豊富な文献を読み漁りながら演繹的に記載した大著であり、ピューリッツァー賞の受賞に恥じない傑作です。がんについて科学的に深く知りたい人やがん研究に取り組んでいる研究者においては、必読の書と思われます。圧巻は20〜21世紀に入ってからのがん研究の発展史を見事に描出していることであります。とくに私が興味を惹きましたのは、ハーバード大学のシドニー・ファーバーが設立した世界的に有名ながん研究所(後にダナ財団の支援を受け、ダナ・ファーバーがん研究所と改称)の原点に迫る物語です。これには、個人的な思い出が絡んでいます。私が約40年前、ハーバード大学医学部に留学していた頃、ダナ・ファーバーがん研究所のカフェテラスに幾度となく昼食に出かけた記憶があるからです。馴染みの場所が、書物に出てくると、郷愁に似た感慨に魅せられます。本書の眼目は、分子生物学が登場して以来がん治療法は凄まじい勢いで発展し、もはやがん撲滅も近いのではないかと思わせるような胎動感に溢れた圧倒的な記述にあります。4000年にも及ぶ医師・研究者の果てしない闘いの結果、がん根絶にはまだ時間はかかるとしても、本書を通読しますと、その克服も指呼の間と思わせるような筆致力に溢れています。


「旧東海道歩き」 踏破!

2019年2月3日に日本橋を出発した旧東海道五十三次散策の旅は、今年初頭、足掛け3年の歳月をかけて念願の京都三条大橋に辿り着きました。月1〜2回空いている週末に街道を歩いて約500 kmを計24回での踏破です。このように長期間を要したのは、予期しなかったコロナパンデミックの襲来によって約1年半の間、中止を余儀なくされたからです。この街道歩きは、細胞生物学者でありまた著名な歌人の顔をももつ畏友永田和宏氏(JT生命誌研究館館長)が同行者でした。と言っても、彼は京都から東京に向かっての逆方向の旅でした。初期は絶好調で歩き始めた年の8月(新型コロナウイルス発生の直前)には、二人で同時に中間点の袋井宿に到達し、東京工業大学の大隅良典氏ら「七人の侍」と呼ばれている仲間たちが集まって大宴会を行いました。この間の経緯については、2020年度の「新年度挨拶」に記載しました(都医学研のHP所収:https://www.igakuken.or.jp/public/news/037/cont1.html)。その後、なんとか宮宿(熱田宿)まで辿り着きましたが、そこで中断となりました。幸運にも昨年末からCOVID-19感染症が収束気味になりましたので、緊急事態宣言が解除された3~4ヶ月間に桑名宿から一気に三条大橋を目指しました。四日市を過ぎ、伊勢街道に分岐する日永の追分から箱根に次ぐ難所鈴鹿峠を越え、旧中山道との合流点である琵琶湖畔の草津宿へとひたすら旧東海道を西に歩き続けました。帰着点三条大橋も出発点日本橋も残念ながら往時を偲ばせる風情は微塵も感じえず喧騒に満ちていましたが、通り過ぎた各々の宿場に想いを馳せますと、江戸時代の風情を色濃く残して歴史の臨場感に溢れた宿場から当時の余韻を完全に欠いた宿場まで様々でした。踏破記念の「七人の侍」による祝宴会は、残念ながらコロナ収束まで延期となりました。

鈴鹿峠手前の関宿(亀山市)
鈴鹿峠手前の関宿(亀山市):
江戸時代の宿場の雰囲気をそのまま残している。

私は歴史好きであり、名所旧跡・神社仏閣・城址巡りを至高の楽しみとしています。街道歩き旅の感想を一言で述べますと、楽しさと苦しさが混淆(こんこう)したものでした。時には朝6時頃に出発して一日5〜6万歩に達することもあり、そのような時は帰路の電車内ではただただ疲れ果てて眠りこけ、帰宅が深夜になることも屡々(しばしば)でした。しかし旅を終えますと、多くの未知の場所に遭遇できたことが忘れ難い思い出となりました。例えば、山中城(三島)・亀山城(伊勢)・水口城(甲賀)の城址、遊行寺(藤沢)・早雲寺(箱根町湯本:北条氏5代の墓)・清見寺(静岡:今川義元・徳川家康ゆかりの寺)・法蔵寺(岡崎:近藤勇の首塚)・石薬師寺(鈴鹿:近傍に佐々木信綱の生家跡)・田村神社(甲賀市土山:坂上田村麻呂を主祭神として祀る神社)・義仲寺(義仲の墓の隣に埋葬された芭蕉の墓)などです。加えて文学好きの私には、鴫立庵(しぎたつあん)(大磯)・若山牧水記念館(沼津)・東海道広重美術館(静岡)などへの立ち寄りは、堪えられませんでした。これらの地は、今回、街道歩きをしなければ、多分、生涯訪れることのない場所でした。勿論、これら私にとっての特別の場所以外にも、風光明媚な山(峠)、川、海の眺望の数々は、思わず息を呑むことしきりでした。皆さんも“湧々”しませんか?このように歴史の香りに彩られた日本文化の原点を味わいながら、結果的に足腰を鍛えることができて健康寿命の延伸にも繋がる、そしてなんの装備も要らない手軽な街道歩きを、皆さんにお勧めします。

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