2017年1月24日
on-line 英国科学誌「eLIFE」に上野耕平副参事研究員らが「新たなドパミン放出機構の解明」について発表しました。
(公財)東京都医学総合研究所・学習記憶プロジェクトの上野耕平副参事研究員、齊藤実参事研究員らは、ショウジョウバエ脳を用いてドパミン作動性神経からのドパミン放出を調節する新しいドパミン放出機構を見出しました。
生理学の教科書には神経伝達物質の放出決定はその神経細胞自身の活動によるとされていますが、本研究によってドパミンの放出は、ドパミンを受ける側の神経細胞によっても決まることがわかりました。今回、新機構として見出されたドパミン作動性神経は人の統合失調症、認知症、パーキンソン病といった脳の障害に強く関係していることから、今回の私たちの研究成果はこれら脳障害の原因解明に重要な手掛かりになると期待されます。
この研究成果は、オンライン英国科学誌「eLIFE(イーライフ)」に1月24日付で掲載されました。
https://elifesciences.org/content/6/e21076
ドパミンは脳の重要な神経伝達物質の1つで、これを放出するドパミン作動性神経は、その数は少ないものの、非常に大きな神経終末*1を備えており、膨大な数の神経細胞にドパミンを放出することができる構造になっています。一方、ドパミン放出量は脳に重要な影響を与えます。例えばその放出量が増大したり減少したりすると、統合失調症やパーキンソン病といった脳の高次機能障害が起きることが知られています。また健常者においてもドパミンの正常な放出調節が睡眠や記憶形成に不可欠です。しかし、ドパミン作動性神経からのドパミン放出がどのように調節されているのかはよくわかっておりません。たとえば全ての受け手の神経細胞に放出されるのか、それとも限られた受け手にのみ放出する仕組みがあるのか?などは全く不明でした。ドパミンはショウジョウバエ*2においても記憶形成に重要な神経伝達物質です。そこで私たちはハエの記憶形成時にどのようにドパミンが放出されるのかを明らかにすることでドパミン放出機構の謎に迫ることにしました。
ハエは匂いと電気ショックを連合学習し、その匂いを長期的に嫌うようになります。この時、匂い情報と電気ショック情報はそれぞれ触角葉*3と腹髄神経節*4からそれぞれキノコ体*5と呼ばれる脳部位へと伝えられます。これまでの行動実験による知見から2つの情報の内、電気ショック情報を伝えているのがドパミン作動性神経と考えられてきました(図1)。ハエの脳を取り出し、触角葉と腹髄神経節をガラス電極で刺激して、人為的に匂い記憶に必要な情報をキノコ体に与えると、キノコ体に記憶と同様の長期的な活性化を引き起こすことができます。そこでこの実験系を用いて、まず腹髄神経節刺激がドパミン放出を引き起こすのかを調べたところ、意外なことにドパミンは放出されず、代わりにグルタミン酸が放出されていることが明らかとなりました。ではドパミンはいつどこで放出されているのでしょうか?詳細な解析結果から、触角葉刺激と腹髄神経節刺激(またはグルタミン酸投与)を同時に行ったときだけキノコ体上のドパミン作動性神経から、ドパミンが放出されていることがわかりました。そしてドパミンが放出されキノコ体のドパミン受容体が刺激されると、前述の長期的な活性化が引き起こされることがわかりました。このことから、匂いと電気ショックの情報によりキノコ体が興奮すると、キノコ体が周辺のドパミン作動性神経にドパミンを放出するように促しているのではないかと推測されました(図2)。
この仮説を検証するために、片側の触角葉を刺激しながらグルタミン酸を投与することで、片側のキノコ体のみを興奮させました。この時、ドパミン作動性神経を観察すると、図1にあるようにドパミン作動性神経は両側のキノコ体に投射しているにも関わらず、興奮している片側のキノコ体上でのみドパミンを放出しました。この結果は前述の我々の仮説を裏付けるものです。さらに、ハエの匂い記憶に必須なアデニル酸シクラーゼ*6がこのキノコ体の興奮をドパミン作動性神経に伝えるのに重要であることも見出されました(図2)。
匂い情報は触覚から触角葉を経てキノコ体に伝達されます。この場合、片側の匂い情報は同側のキノコ体へと伝えられます。一方、電気ショック情報は腹髄神経節を経てキノコ体へと伝えられると考えられてきました。キノコ体にドパミンを放出するドパミン作動性神経を反対側のキノコ体にも神経突起を伸ばしており、どちらのキノコ体にもドパミンを放出することができる構造になっています。
キノコ体を構成する神経細胞に触角葉と腹髄神経節からの情報が伝達されると、キノコ体神経細胞のrutabaga遺伝子から作られるアデニリル酸シクラーゼ(RUTABAGAタンパク)が活性化します。このアデニル酸シクラーゼの活性化によってなんらかのシグナルが近傍のドパミン作動性神経に伝達され、これによってドパミン放出が誘導されると我々は考えています。放出されたドパミンは1型ドパミン受容体を介してキノコ体神経細胞の長期活性化を引き起こします。
今回の研究によりドパミンの受け手であるキノコ体もドパミン放出を決定していること、この仕組みにより特定の受け手にのみドパミンが放出されることが明らかとなりました。しかし、どのようにして受け手のキノコ体がドパミンの放出を決定しているかの機構は依然として不明です。また今回見つかった受け手による神経伝達物質の放出決定機構がドパミン神経だけでなく、他の神経系にもあるのかという疑問も興味深いところです。この機構が明らかになれば、その機構に関わる分子を標的とした薬剤開発をすることで、ドパミン放出を薬理学的に調節することが可能になるのではないかと予想されます。ドパミン放出量は脳の高次機能障害に関わっていることから、これらの障害に対する治療方法の開発に貢献するものと期待されます。