2026年10月28日
視覚病態プロジェクトの北村 裕太医師(千葉大学眼科)、原田 高幸プロジェクトリーダーらの研究グループは、「成熟した網膜神経節細胞の生存にTrkBシグナルが不可欠」についてInvestigative Ophthalmology & Visual Scienceに発表しました。
視覚病態プロジェクトの北村 裕太医師(千葉大学眼科)、行方 和彦 研究員、原田 高幸プロジェクトリーダーらは、脳由来神経栄養因子(BDNF)の受容体TrkB[注1]が、成熟した網膜神経節細胞(RGC)[注2]の生存と網膜機能の維持に重要であることを明らかにしました。成体マウスのRGCを主な標的としてTrkBを急性に欠失させたところ、わずか5週間でRGCの減少と網膜機能の低下が認められました。
この成果は、研究グループがこれまでに報告してきた「改変型TrkBの遺伝子治療によって緑内障モデルのRGCを守る」という研究の意義を、TrkB本来の働きから裏づけるものです。

緑内障では、網膜で受け取った視覚情報を脳に伝えるRGCと、その軸索が集まった視神経が徐々に傷害されます。現在の治療は眼圧を下げることが中心ですが、眼圧を十分に下げても進行する場合があり、RGCそのものを守る「神経保護療法」の開発が求められています。
BDNFは神経細胞の生存を支える神経栄養因子で、TrkBはその刺激を細胞内に伝える受容体です。緑内障患者の視神経乳頭組織では、BDNFや活性化したTrkB(リン酸化TrkB)の低下が報告されており、この経路の働きと緑内障との関係が注目されています。研究グループは以前からBDNF–TrkBシグナルに注目してきました。しかし、発生・成長を終えたRGCが生存し続けるために、内因性TrkBがどの程度必要なのかは十分に分かっていませんでした。
本研究では、7週齢のTrkB flox/floxマウスの硝子体内に、Cre酵素を発現するAAV2-Cre[注3]を投与しました。この方法で主にRGCにおけるTrkBを急性に欠失させ、その後の細胞数と網膜機能を調べました。AAV2-Creが主にRGCに作用することは、蛍光レポーターマウスを用いて確認しました。
投与5週後には、RGCの指標であるRBPMS陽性細胞が網膜の中心部、中間部、周辺部のいずれでも有意に減少しました(図1)。一方、アマクリン細胞、ミュラー細胞、視細胞などを示す主要なマーカーには有意な変化が認められず、RGCが特に影響を受けることが示されました。
比較のため、TrkB flox/floxマウスとc-kit-Creマウスを交配して作製した、発生期からRGCやアマクリン細胞などでTrkBを条件付き欠失させたマウスについても調べました。このマウスでは、発生期からTrkBが欠失しているにもかかわらず、12週齢時点ではRGC密度に有意な減少は認められませんでした。また、我々の先行研究では、若齢期の網膜構造は概ね維持され、6か月齢以降にRGC変性が生じることを報告しています。このことは、発生期からTrkBを欠失した場合には、成熟後に急性に欠失させた場合と異なり、比較的長期間RGCが維持されることを示唆しています。 その理由として、発生過程で他の神経栄養因子などによる代償機構が働いている可能性が考えられます。
さらに、多局所網膜電図(mfERG)[注4]によって網膜の電気的な応答を測定したところ、網膜内層の機能を反映する二次核応答が投与5週後に約26%低下しました(図2)。これはRGCの減少に加えて、網膜機能にも障害が生じることを示す結果です。
視覚病態プロジェクトは以前、TrkBの細胞内活性部位を細胞膜に結合させ、BDNFの刺激がなくてもTrkBシグナルを持続的に活性化できる改変型受容体「F-iTrkB」[注5]を開発しました。この遺伝子をAAV2ベクターで網膜に導入することで、緑内障モデルマウスにおけるRGCの保護や、視神経損傷モデルにおける軸索再生を報告しています。
この先行研究の内容は、当プロジェクトの 「研究成果14:新しい遺伝子治療ベクター」
で詳しく紹介しています。
今回の研究は、TrkBシグナルを「弱めた場合」を直接調べたものであり、F-iTrkBによってシグナルを「強める」先行研究とは相補的な関係にあります。すなわち、成熟RGCが生き続けるためにはTrkBが必要であり、その働きを補い、増強することが緑内障の神経保護につながるという治療戦略に、基礎的な根拠を与えました。
本研究はマウスを用いた基礎研究であり、緑内障患者に対する治療効果を直接示したものではありません。しかし、眼圧を下げる治療に加えて、TrkBシグナルを増強することでRGCを直接保護するという新しい治療法の開発を後押しする成果です。今後は、緑内障に近い病態条件での検証を進めるとともに、改変型TrkBを用いた遺伝子治療の有効性と安全性の評価を重ねていきます。